CASE1 検査したばかり 治療前にがんが消滅


岸久子さん(山形県在住 1996年当時48歳)の場合

 「1996年の1月から不正出血が続きまして、病院に行ったのは8月になってからのことでした。翌月に細胞検査の結果が出て、子宮がんと分かり、手術を勧め られたのです。

告知された時、これといって動揺はしませんでした。というのも血縁者にがんの人が多くいましてね。その皆が手術後、元気で暮らしているのを見てたからでしょう。子宮を失うにしても、悪いところを取ってしまえば大丈夫という気持ちでいたんです。性格はもともと楽天的で、くよくよしないタイプといえるかもしれません。

 

それでも手術に際して一つだけ条件がありました。この時、季節は実りの秋の真っ只中。私にとっては職場を離れることのできない季節でもありました。田んぼを持っているスタッフが稲刈りで休みを取るため、人手不足になるのです。『稲刈りの終わる 10月半ばに手術を延ばしてほしい』とお願いしました。

手術まで1か月余りの時間ができた時、日本冬虫夏草を譲ってくれた知人がいました。普段、ジュースやお茶などをほとんど口にしないのですが、日本冬虫夏草だけはスンナリ飲め、1か月の間、毎日たっぷりいただきました。

 

 発病までの3年間を振り返ると、ずいぶん体に無理をかけていたようです。父の介護に始まり、母、姑の介護と次々続きました。二人の母を同時に看ていたときもあります。仕事を続けながらでしたので、睡眠時間は毎日4~5時間程度。ようやく解放されたという時、たまった疲れがこういう形で現れたのでしょう。がん血統というのも思いあたりました。

 10月26日にいよいよ入院。10月28日に前段階の簡単な手術を行いました。子宮以外にどこまで摘出するか判断するため、局所麻酔をかけて患部をはがして調べるのです。

がん細胞消失。手術取り止め

 11月5日、その結果が出てきました。先生は『がん細胞がどこにも見当たらないんだよね』と不思議がっていました。そして『岸さん、帰っていいよ』と言われてしまったのです。それならばと、さっさと退院させてもらいました。薬は一切飲んでないし、治療も一切やってこなかったですからね。退院する際も、薬の処方はありませんでし た。

1996年1月
不正出血有り
8月
ようやく病院に行く。子宮がんの診断。日本冬虫夏草を飲み始める。
10月26日
入院。
28日
組織検査。
11月5日
がん細胞がどこにも見当たらず消失。

今度は夫ががんに

 平常の生活に戻って1か月半が過ぎ、やれやれといった頃、今度は主人が町の検診でひっかかり、左肺に影が見つかりました。細胞を取って調べると、腺がんで悪性ということが分かりました。2.5cmの大きさでした。主人はお酒をたくさん飲みましたし、タバコを1日に3箱も吸う30年来のヘビースモーカーでしたが、翌日からタバコもお酒もピタリと止め、日本冬虫夏草を飲み始めて、患部近くに擦り込んだり、吸入器で吸入したりもしてました。

 

 仕事をしながらできる限りのことをして過ごすうち、患部は次第に小さくなってい ったようです。 3 か 月 が 過 ぎ た 頃 に は  2.5 ㎝ か ら 1 ㎝ ま で に 縮 小していました。1 cmになったところで、患部の摘出手術を行いました。左胸の3か所に小さな穴を開けて内視鏡を使って患部を切り取るもので、従来の手術と比べると、体の負担が極めて少ない方法です。

もはやがんではなくなっていた

 切り取られた患部を見せてもらうと、白っぽくカッテージチーズのようでもあり、石灰化していました。痕跡は残っていたものの姿が変わり、もはや『がんではない』と言われたのです。主人も病院の治療は一切やっていませんでした。

【ご主人の経緯】
1996年12月
ご主人が肺がんと診断され、日本冬虫夏草を飲み始める。タバコとお酒をピタリと止める。
1997年3月
患部が2.5cmから1cmに縮小している。内視鏡手術。患部は石灰化していて「がんではなくなっている」と言われる。

 がんが消失してから二人とも再発無く元気に暮らしています。私が7年目、主人が6年目に入りました。私が気を付けてる事といえば、食事は常に腹7、8分目に抑えるということでしょうか。

 

仕事を終えた後、夜中までやっていた趣味を最近は控えて、睡眠時間は6時間以上取っています。以前と比べると体をずいぶん労わっていますね。時には仕事から離れて旅行に出掛け、リフレッシュすることも大事にしている事のひとつです」

 

朝日ウィル(北燈社)2003年2月18日号より

 

 「再発なく元気で、13年目に入りました。主人は12年目です。この度、主人が肺炎で入院しまして、実は昨日退院してきたばかりなんです。仕事で頑張りすぎたからだと思います。その病院に同じ症状で入院している方が2人、あっという間に次々に亡くなられてこわくなりました。入院すると同時に日本冬虫夏草を毎日飲むようにしました」ご主人にお会いしましたが、顔色も良く元気そうなので安心しました。

 

2008年3月8日お二人にお会いして

 

 「この冬、風邪から肺炎になりました。CT検査したら両肺真っ白で、最終的にはカリニ肺炎という診断でした。入院してすぐに日本冬虫夏草を飲みました。毎日600ccは飲んだと思います。大学病院には私と似たような患者さんがいっぱいいましてね。妻からも聞いていると思いますが、入院中に同じ病気で亡くなった方が2人いたのです。肺炎は油断できません。今は仕事に復帰して元気でおります」

 

 2008年8月30日ご主人のお話より

膀胱がんで手術

 「2018年4月26日、膀胱がんの手術を受けました。それは患部だけの摘出で済む簡単なものでしたから、4月30日には退院し、5月6日には職場復帰、その後は何もなかったかのように元気で働いています。(金山町でレストラン・一番纏をご夫婦で経営されています)

一つ一つに心も体も満たされる『一番纏』のお料理
一つ一つに心も体も満たされる『一番纏』のお料理

 振り返ると、昨年の12月に下腹部のあたりが重苦しい感じがありました。婦人系だろうと思って検査をしましたが、異常はありませんでした。3月に血尿がみられたので改めて病院に行き、膀胱がんの診断を受けたのです。

 

1996年の子宮がんの消失から、検査のため、大学病院に10年間通いました。いつも異常なしでした。子宮がんの再発とは無縁で20年余りが過ぎていました。

 

夫が体調を崩し、看病が続き、その過労が原因だったのかなと思います。日本冬虫夏草も意識して飲んでいます。不思議と今年から夫の体調も普通に戻りました。

久子さんがミシンだけを用いて作ったかわいい女の子2018
久子さんがミシンだけを用いて作ったかわいい女の子2018

趣味の裁縫は楽しくて止めることはできませんね。私にとって気分転換になるかけがえのない時間です。

 

この頃は編みぐるみにも凝っており、様々な動物にトライ中です。また、旅行でリフレッシュすることも忘れていません。仕事から離れて過す時間を大事にしています」

 

2018年9月21日久子さんのお話より

再発無くきれい

 「2月8日に膀胱の検査がありました。とてもきれいな状態で異常無しでした。昨年来、疲れ易くなったという感じはありますが、仕事と趣味、変わらず楽しんでやっています」

 

2019年2月18日久子さんのお話より

 

 「12月の検査も2月28日の検査も異常なしで、元気に過ごしております。この頃は、古布(ふるぎれ)をアレンジしたバック作りにチャレンジしています」

 

2020年3月4日久子さんのお話より

←手作りトートバック2020

 

藍染の古布に、みどりの裏地、取っ手は皮と洒落ている。A4サイズの書類が入る使い勝手の良さ。お店では手に入らない久子さんオリジイナルデザイン。


「このところとても体調が良いのです。朝、4時半には目覚めてしまいます。みんなの手を借りながら元気に除雪もしています。趣味のソーイングも続けています。布バック3点セットをお届けしました」

 

2021年2月26日久子さんのお話より

手作り3点バック2021冬 お花とキジの洒落た柄です。 岸さんの手は魔法の手です。
手作り3点バック2021冬 お花とキジの洒落た柄です。 岸さんの手は魔法の手です。
手作りバック2021夏 しぼりの柄が涼しげです。 ダリアの花柄もかわいい。
手作りバック2021夏 しぼりの柄が涼しげです。 ダリアの花柄もかわいい。

 「夏バテすることもなく、元気に仕事をしております。また、趣味のソーイングも楽しんでます。新作をお届けしました」

 

2021年8月4日のお話より

 「新型コロナウイルス感染者の減少、緊急事態宣言の解除があってからでしょうか。お客様が戻ってきて、このところとても忙しく働いています。周囲も私の体を気遣い、『朝起きるのがしんどくないのか?』などと聞いてきますが、辛いことが全く無くなって、風邪一つひきません。ビックリされます」

 

2021年12月1日久子さんのお話より

 

 「今、3回目の新型コロナワクチンの接種を終えてきたところです。2回目までは体調の変化が何もありませんでした。

 

 3年前の疲れ易かった体質が激変してから、その後も体力の衰えを感じることがなく、四時半ごろ起床しても平気で除雪に仕事にと励んでいます。そのパワーを目の当たりにした(笑)周囲の人たちからは『どっかおかしいんじゃないの~?』と気味悪がられています(笑)。

 

2月4日の病院の膀胱検査では『綺麗な状態が続いています』と言われ、検査のほうも6か月に一度に減りました。

 

 それからね、思議なことがありました。眉の上にできものが出来て、『加齢のためかな』と諦めていたところ、そこに日本冬虫夏草を飲むたびに指先でピタピタと塗っていたところ、1か月したら消えてしまったのです。

 

また手の中指の関節にタコといったらいいのか固いものがあって乾燥すると割れて痛かったのですが、これもいつの間にか消えていたのです。こちらには塗布はしていません。ご報告しなくてはと思っていました」

 

2022年2月12日のお話より

小村幸子さん(宮崎県在住 1995年当時51歳)の場合

小村幸子さん
小村幸子さん

 「1995年の3月末のことでした。濃いワイン色の血尿が出たんです。ずいぶん前に尿管結石をやりましてね。ピンク色の血尿が出たことがあったのですが、明らかにそれとは違ってて、何やら悪い予感がしました。それでも仕事は休めなくて。病院に行くことが出来たのは3日後のことです。

 

 CT検査をすると片腎の中央にハッキリと影が映し出されていました。先生ががんという言葉を口にするより早く『先生、これは何センチぐらいのがんですか?』と私の方からお尋ねしたんです。すると『4、5ミリありますね。片腎を摘出する手術をした方がいいでしょう』と答えが返ってきました。

 

私は、この事実をどちらかというと冷静に受け止めていました。というのも20年前に姉が乳がんになり、それを克服。元気に暮らしている姿を見ていたからです。

姉が乳がんを克服

 姉が乳がんだと知った当初はかなりうろたえました。入院した姉を看病しながら、居ても立ってもいられず、自分がしてあげられることはないものかと必死に探しておりました。そして病室で読んだ『主婦の友』に矢萩禮美子先生を紹介した記事があって目に止まったのです。すぐに当時住んでいた神戸から先生のところに向かいました。1975年12月17日のことでした。

 

 駅に着いたとき、雪が舞っていました。禮美子先生は、翌朝には妹さんの結婚式を控えているというのに夜中まで私の話に付き合ってくださって。結婚式のことは一切おっしゃらなかったんですよね。それを知ったのは後になってから。申し訳ないことをしたと思いました。

 

ところで、先生のお母様からおみそ汁をごちそうになりましてね、具だくさんだったので驚きました。野菜をたくさん摂るための工夫だそうです。それ以来、我が家のおみそ汁も具だくさんになりました。

 

 姉にはサルノコシカケを術後すぐに飲ませました。治療はその後放射線を少しあてましたが、抗がん剤等の薬剤は一切与えられませんでした。その後もサルノコシカケに日本冬虫夏草を加えながらずっと飲み続けてきました。

 

 さて、私の話に戻りますが、腫瘍発見の日から退院までを日を追って説明することにいたします。

経緯

1995年3月27日
CT検査で初めて腫瘍が発見され、手術をすすめられる。
3月29日 <発見から3日目>
日本冬虫夏草を飲み始める。
<発見から5日目>
血尿が止まる。
<発見から8日目>
手術のため設備の整った別の病院に入院。日本冬虫夏草をこっそり持ち込む。
4月06日 <発見から11日目>
MRIで腫瘍を再確認。3人の医師から悪性だからと改めて手術をすすめられる。腎は片方あれば大丈夫と言われたが、両方あるにこしたことがない。できれば切りたくないと思う。
<発見から12日目>
先生に頼んで何とか外泊許可をもらい帰宅。
<発見から13日目>
里心がついて病院には戻りたくなくなる。理由をつけて戻れないという電話を入れる。日本冬虫夏草は1日に700cc〜1050cc。夜中にも飲む。夜中に飲んだ時は腎に染み込む感覚。日本冬虫夏草を胸腺に塗ったり、コンニャクハップで腎を温めたり、病室でできないことも自宅では大胆にやれる。
4月12日 <発見から17日目>
このまま戻らないわけにもいかず、気を取り直して病院に戻る。CTとMRIで再度検査。するとあったはずの腫瘍がきれいに消失している。日本冬虫夏草を飲み始めてから15日目。。

1995年3月27日撮影

左の腎臓の全体像。その中央に腫瘍がある。

1995年4月12日(発見から17日後)撮影

中央の腫瘍が消失。


MRIの写真は病院から1枚1500円で買い取りました。大学病院では譲ってくれない場合もあるようです。

腎臓がん消失

 1995年4月12日、手術のために入院して10日目(中5日間は、外泊許可をもらい、自宅に戻り独自の手当てを十分に行う)、腫瘍発見から17日目のことです。先生が病室に検査のフィルムを持ってきましてね、『小村さん、不思議なんですよね。影がなくなっているんですよね』と首をひねっていらっしゃるんです。

 

病院での治療はこれまで一切なかったわけですしね。血管造影検査をさせて欲しいとも頼まれましたが、痛いのや苦しいのは何よりイヤでしたから、消えてるんだし、そのまま退院させてもらいました。

 

 発病の原因を振り返るとオーバーワークにあると思いました。毎日10時間は立ちっぱなしで働いていましたし、責任あるポジションにいて職場のストレスもありました。食事もきちんと取れてなかったし、接客業ですから思うようにトイレに行けず我慢して、腎臓に負担をかけていました。

 

体は声は出せないけれど、赤い血を出してやりすぎだよと教えてくれてたんですね。

 

 現在は退職してのんびりと暮らしております。姉と一緒に日本冬虫夏草は今も続けていて、最近は運動不足が気になって、ウォーキングを始めています。宮崎は今、桜が咲いて春本番といったところです」

朝日ウィル(北燈社)2002年3月19日号より

 

 「宮崎は厳しい残暑が続いていますが、元気でおります。再発なく今年で8年目を迎えました。 この度、結腸がんの知人が人工肛門を免れました。手術で開いてみると患部が小さくなっていたそうです。手術前に日本冬虫夏草を飲んでいます」

2003年9月3日のお話より

 

 

 「今年は腎臓移植のスキャンダルが世の中を騒がせましたが、『腎臓は片方あれば大丈夫』と簡単に摘出を勧められた当時のことを思い出しました。間一髪で2つ残せて幸運でした。あれから今日まで私は11年、姉は30年、再発と無縁で暮らしています。日本冬虫夏草は現在も続けています」

2006年12月21日のお話より

 

 

 「私が庭で育てた日向夏を送りました。農薬を使っていないので皮もマーマレードにして食べられますよ」

 

2008年5月26日のお話より

 「宮崎も、今年の春は寒くてえんどう豆が不作です。大好物なので食べられないのがとても残念です。庭の日向夏の方は無事に実りました。お送りしますね。腎臓がんが消失してから再発なく15年が経過しました。姉は乳がんの手術から再発無く34年です。

 

日本冬虫夏草とは長い長い付き合いになりました。今も傍らにおいて二人で飲んでいます」

2010年4月29日のお話より

 

 「早朝、新燃岳の大きな爆発がありました。地震も続いていて、火山灰がひどく、眼が痛いのには困りました。もちろん、空を仰ぐことも洗濯物も干せません。ここは避難勧告が出てないのでまだましですが、避難されて不自由な思いをされてる方々を思うと心が痛みます。1月は宮崎もずいぶん寒かったです。氷も張るし、霜柱も立ちました。

 

例年だと、2日寒いと3日目がほわんと暖かいのに、今年はそれがありません。噴火が、窓やドアを開け放して暮らすようになる春までにおさまってくれるといいのですが...がんが消失してからこの4月で16年になります」

2011年2月1日のお話より

 

 「暖かい日差しに恵まれ、姉と二人で窓を開けてドライブしました。今年初めてウグイスの美声を聞くことが出来ました。春を知らせるさえずりです。がんが消失してからこの4月で18年になります」

2013年2月25日のお話より

 

 「宮崎の暑さは格別です。時々雨は降りますが、けっして涼しくはなりません。湿度が上がってサウナのようになるだけです。暑さと闘ってるような毎日です。農学者の小泉武夫先生は、『甘酒は飲む点滴です』と言っておられます。この夏、私は一旦沸かした甘酒を冷やして飲むのを習慣にしております。なんとか元気で乗り越えられそうな気がします。日本冬虫夏草も一緒に飲んでいます」

2013年8月23日のお話より

 

 「この頃は姉の介護しながら過ごしております。姉妹共々がんの再発とは無縁でここまでやってきました。海藻が大好きで三陸のワカメを毎日いただきながら過ごしております」

2017年5月21日のお話より

 

 「姉が要介護3となりまして、私が介護をしております。私自身も要支援1をもらいました。しんどい毎日ですが、介護サービスをやりくりし、三陸のワカメを食べながら頑張っています」

2018年4月18日のお話より

 

 「緑滴る、この時期の緑陰の心地よさ、安らぎは格別で、他には得難いものがあります。梅雨が近づいています。コインランドリーへと走る直前の季節。梅雨の時期は洗濯、乾燥をコインランドリーのマシーンに任せる暮しに切り替えます。

 

どこのお宅もお花の真っ盛りです。老老介護となりますが、姉の介護を頑張っています」

2019年5月13日のお話より

 「台風の備えを一生懸命やりました。窓ガラスに養生テープを張ったのはもちろん、停電を想定して氷を大量に購入しました。姉のことを考えてホテルに避難しようとしましたが、周辺のホテルはすぐに満室になりました。古い家なので心配でしたが、一夜明けて、台風10号の被害はほとんどありませんでした。再発無く、私は25年。姉は44年が経過しました」

2020年9月7日のお話より

 

 「姉が86歳6か月、私は82歳になりました。人生の最終章を迎え、お墓を納骨堂に変えたりと終活に動き回っております。ワカメが大好きで、毎日いただいています。三陸のワカメは私たちにとって特別なご馳走です」

2021年12月6日のお葉書より

【あとがき】

病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。実名とポートレート(ご自身の写真)、尚且つ実物の検査データや画像を添えて公開して下さった方、苗字を除き名前(実名)だけの方、また仮名の方など、体験者の意向を尊重しております。

 

特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。 

体験談の虚偽記載は一切ございません。