CASE4 手術だけで他の治療はない


今村晴美さん(宮城県在住)の場合

 「下腹部に尋常ではない痛みが走り、病院に行ったのは1999年(37歳)春のことです。診断は子宮内膜症。手術が必要とのことでした。

 

この時、『他にも悪いところがないか、この際だから全身くまなく検査しましょう』という話になり承諾しました。すると次々と異常が見つかっていったのです。まずは乳房にしこり、そして甲状腺に腫瘍、さらに腸骨に影...。

 

乳房のしこりは良性と悪性の中間レベル、グレーといったところで、すぐに摘出。甲状腺の腫瘍はクロ。広がっていたリンパも含めて摘出しました。腸骨の影はシロの判断でした。

 

 今はどうか分かりませんが、当時の検査は肉体的、精神的負担が伴いました。手術よりしんどかったかな。私は、その病院で幸運にも心の支えになってくれる素晴らしい看護師さんと巡り会っていました。生検の際は病院側に頼み込み、その看護師さんに担当で付いてもらいました。検査中ずっと手を握ってもらっていたほどです。白衣の天使って本当にいるのですね。彼女がいなければ、次から次に起こる現実を乗り越えられなかったと思います。

 

 さて、唯一症状が出ていた子宮内膜症の話に戻りますが、片方の卵巣と卵管を摘出しました。子宮には筋腫が3個ありましたが、残して経過観察していくことになりました。甲状腺の術後も、抗がん剤の投与等は無かったですし、投薬されたものといえば退院後の鉄剤とホルモン剤ぐらいですかね。

 

その後しばらくして、副鼻腔炎の手術もやっています。このように、次々とやってくる大病に休み無く立ち向かっていかなくてはなりませんでした。

 

 2001年になると、今度は息子(長男)の肺にがんが見つかりました。当時18歳。転移がんでした。手術の前に抗がん剤を投与し、患部を小さくしてから根っこを手術で摘出するというプランに沿い、抗がん剤投与が始まりました。すると全身の毛が抜けました。並外れた食いしん坊だったのに食事はできず、飲み物さえ受け付けない。胃の中は空っぽなのに吐くのですから見てられません。自分のことより辛かったです。

 

そこにある人物が見舞いに訪れました。山内正徳さんという方です。(山内正徳さんについては下記の体験談でご覧いただけます。)そして『これ飲んでみて』と何か差し出したのです。それが日本冬虫夏草と私との初めての出会いでした。

 

覚悟を決めた息子は、ひとくち口にしました。すると食べ物も飲み物も一切受け付けなかったのにスンナリ飲めたではないですか。それから先も他の物は無理でも日本冬虫夏草だけは飲めるということでした。『不思議な物があるものだわ』と思いました。

その後、息子の手術は成功し、再発や転移と無縁で今日まで元気に過ごしています。日本冬虫夏草は現在も続けています。

 

さて、2005年の話になります。仕事中のことでした。ずいぶん前から『左耳が聞こえずらいな』と思っていたのですが、秋になって、電話の受話器を持った時、発信音が全く聞こえなくなったのです。右耳にあてると確かに発信音は鳴っています。音の種類によって全く聞こえない音とかすかに聞こえる音があるようでした。

 

すぐに耳鼻科で診てもらうと『耳自体は何ともない。耳の裏も問題ない。他に問題があるのではないか』ということでMRIで頭部を調べると『何かあるね』と言われたのです。頭の中が真っ白になりました。診察が終わったらデパートに寄って帰ろう。そんなあたり前の日常が一遍に吹っ飛んでしまったようでした。老舗デパートが閉店セールをやっていた時だったのでよく覚えてます。11月29日のことでした。

 

そんな時、あの日本冬虫夏草を思い出したのです。再び山内正徳さんに相談し、私も早速日本冬虫夏草を試すことになりました。病院からは『腫瘍が耳の神経と顔面神経と三叉神経にかかっていますので手術のリスクがかなり高く、万が一神経が切れてしまうと顔の半分が落ちてくるでしょう』と言われました。そして、脳外科医の福島孝徳先生に執刀してもらうように手配してくれました。福島先生は海外で活躍されていて、鍵穴手術で癒着や神経を巻き込んだ腫瘍を上手く剥がす技術をもっている方らしく、来日する2週間の間に45件もの手術をするといわれています。その代わり、手術を1年近く待たなければなりませんでした。

 

手術の準備として貧血を改善しなければならず、鉄剤を渡されました。日本冬虫夏草は無理なく続けられました。フルタイムで働くのを止め、時間をセーブして仕事を続けました。

 

 半年後の2006年5月。脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が無くなっていました。血液検査をすると、『貧血が良くなってる』と言われました。『子宮筋腫も大きくなっていない』ということでした。頭痛は、『ここに腫瘍がある』という精神的なものに起因した痛みだったのかなとも思います。2006年9月には、貧血は改善され、子宮筋腫も大きくならず止まったまま。子宮筋腫の方は『このまま手術なしでいけそう』との診断。難聴はまだありました。

 

2006年10月27日、脳腫瘍の摘出手術の日です。前もって『腫瘍は神経に絡まっているので元のように聞こえるようにはならないよ』と釘を刺されていました。病室を朝9時前に出て、手術室から戻ったのが夜の8時。手術は10時間に及びました。後で知ったのですが、この日は私のために10名程の親戚縁者が駆けつけ、見守ってくれてたそうです。術後、頭の中に空気が入ったために起こる頭痛が続きました。そのため1か月は薬を服用しています。薬はそれだけです。

戻らないと言われていた耳が元に戻った

 しだいに頭の重苦しさや痛みから解放されていきました。そして、なんと左耳が昔の耳に戻ったのです。電話の受話器をあて、普通に会話が出来るようになったのです。耳は元には戻らないと覚悟してましたから、信じられないことでした。

 

私の感想ですが、腫瘍が神経から剥がれ易くなってたのではないかと思うのです。手術まで長い時間がありました。その間、日本冬虫夏草をはじめ、食事に気をつけたり、仕事をセーブしたり、できるだけ体をいたわる事に努めました。乳製品断ちもしました。それまではチーズが大好物で頻繁に食べていました。これらの試みが無駄ではなかったのだと思いました。仕事はひと月休んだだけで、復帰することができました。

 

2007年7月。持病の子宮筋腫にも変化が現れました。筋腫3個がそれぞれ小さくなっているのです。先生も『このまま閉経していけば大きくなることはありませんし、手術の心配はもうありませんよ』と言ってくれました。血液の状態も『献血できるほどです』と言われました。この年の暮れには転職してフルタイムで働き始めています。

 

 持病の子宮筋腫はさらに小さくなっていき、2010年の夏から週に1度スポーツジムに通い始めました。40分のランニングが出来るほどの体力が身につきました。私の実年齢を知った人が『えっー!若い!』と驚いてくれます。孫と一緒にいると母親と勘違いされることもしばしばです。日本冬虫夏草との付き合いも5年を超えました。2006年の脳腫瘍の手術が終わってから手術を必要とするような大病が全く無くなりました。暮らしの中にはいつも日本冬虫夏草があります。

 

 

振り返ると、経済的問題を抱えていて、それが引き金になったかなと思います。20年間苦しみました。がむしゃらに働き続けなくてはなりませんでした。休んだという記憶がほとんどありません。体が悲鳴を上げるはずです。今では全てが片付き楽になりました。一方で人に恵まれました。健康を取り戻せたのは周囲の温かい方々に支えてもらったお陰だと思っています。

 

私は、自分の事情や悩みを隠したり、ひとりで抱え込んだりしない性格です。それゆえ、皆からヒントやアドバイスを貰えたのかなと思います。皆、色々な経験や知識を必ずお持ちです。今度は私が病気で苦しんでる方の力になり、世の中にお返したいと思いました。私の経験が役立ってくれたらこんな嬉しいことはありません。そのため実名のまま、隠さずお話させていただいたつもりです」

2011年2月4日のお話より

 

~ 中略 ~

経緯

1999年
乳房のしこり摘出。
1999年 4月15日
子宮内膜症で卵巣・卵管摘出手術。子宮筋腫は残す。
5月11日
左腸骨腫瘍生検。
5月24日
甲状腺がん手術。
2000年10月30日
副鼻腔炎手術。
2005年 11月29日
脳腫瘍見つかる。
12月
日本冬虫夏草開始。
                    2006年5月
脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が解消。
子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善方向へ。
9月
子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善。
10月27日
脳腫瘍摘出手術。その後本来の聴力に戻る。
2007年7月
子宮筋腫が縮小し、完全に手術の必要無くなる。
献血できるまでに貧血も完治。
2010年 10月
子宮筋腫がさらに縮小。

肺がんを克服した長男が結婚

 肺がんを克服した長男がこの春、良縁に恵まれ結婚いたしました。9月には子供も生まれます。18歳の時に抗がん剤を大量投与していましたから、子宝に恵まれることなど考えていませんでした。驚いています。日本冬虫夏草は変わらず続けていて、皆元気に働いております」

 

2016年5月3日のお話より

~ 中略 ~

 

「厳しい冬も終わりました。仕事も元気に続けていました。家族も皆元気にしております」

 

2022年4月5日 のお話より

山内正徳さんとご家族の場合

 山内正徳さん(1998年当時 仙台ホテル・チャイニーズレストラン梅華園料理長)よりお話をうかがいました。(以下、山内氏談)

 

 「身内の中から次々とがんになる人が出始めたのは、1995年頃からでした。最初は母親。S字結腸がんでした。次に妹で子宮がん。それから父の尿道・膀胱がんと続きました。私は、何かしてあげれることはないかと思い、当時東北大学で生薬の研究をしておられた近藤嘉和先生のもとを訪ねました。

 

すると、日本冬虫夏草の話をしてくださいました。日本冬虫夏草の研究は、まだ誰もやっていない分野で、先生はその先駆者でした。

半分の時間で退院

 私は、腫瘍の臓器圧迫や排泄障害を解消するための手術はやむを得ないと思っていましたが、抗がん剤に対しては賛同できませんでした。それで主治医に掛け合って、家族には抗がん剤を使わないという約束を取り付けたのです。

 

手術の前から日本冬虫夏草を飲んでもらって、3人に共通したことは、『普通の人の約半分の時間で退院できるもんだな』ということでした。

 

なにしろ術後の感染症に悩まされることもなく、手術の傷も早くきれいに塞がりましたからね。すっかり健康を取り戻し、再発もなく、母は今年で7年。妹と父は5年目を迎えています。日本冬虫夏草は続けていますが、風邪を引くこともなくなって、がんになる前より元気になったようです。皆、私よりずっと元気じゃないですか?(笑)。母や妹は少し太りました。

料理人仲間の家族に心臓膜腫瘍と胆のうポリープ

 それから時期を同じくして、料理人仲間の奥さんが、心臓膜に良性の腫瘍が見つかったとの知らせが入りました。自覚症状が全く無く、気付かないでいたそうですが、実はそれは子どもの頃からあって、加齢とともに大きくなる性質のものらしいです。その時点で子どもの握り拳の大きさにまで成長し、心臓を圧迫し始めていました。

 

たまたま風邪をひいて、胸のレントゲン撮影をしたため発見されたのだそうです。摘出手術の後から私のすすめで日本冬虫夏草を飲んでもらいました。

 

この話には後日談があります。退院の際に検査をしたら、今度は胆のうにポリープが見つかったそうです。でもそのままにして日本冬虫夏草を続け、1年後に調べたら小さくなっちゃってて、主治医から『もう心配はないよ』と言われたというのです。手術から今年で6年目。50歳を迎えられましたがなお元気で、第一線でバリバリと仕事をされています。やはり風邪をひくこともなくなったそうです。

腎臓結石との付き合い

 一方、その頃の私はというと40歳を越えたぐらいで、持病の腎臓結石の症状が出始めていました。結石のために2度の入退院を経験していますが、この痛みはなった人にしか分からない。とにかく頻繁にやってくるこの痛みに、自分のことも何とかしなくてはいけないなと思い始めていました」

 

 腎尿管結石の原因は血液の汚れといわれています。この病気でいちばんの問題は激しい痛みです。シュウ酸カルシウム、リン酸カルシウム、マグネシウムアンモニウムリン酸塩、尿酸、シスチンなどが腎で結晶化し、大きいものだと尿管にひっかかり激しい痛みにおそわれるのです。山内さんは、このために何度か病院に運ばれたことがあるといいます。(以下、山内氏談)

 

 「初めの発作は1997年のことで、明け方、目が覚めました。普通 、痛みって弱くなったり強くなったり、波がありますでしょ。でもこれは、どんどん一方的に増していくだけ。いつか治まるだろうなんて余裕はないの。

 

脂汗が出て、うなって、救急車を呼ぼうと思ったけど、マンションに住んでいることもあって、静かにタクシーを呼び、病院まで運んでもらいました。この時は薬剤投与ですぐに石は落ちたんです。

腎臓結石、ストーンと落ちる

 2度目の発作はそれから1年後のことでした。入院して同様の治療を受けて。でも今度は2週間しても石は落ちてこない。そこで最終的に衝撃波を当てて石を砕いて落としたんです。この病気で入院してる人の中には銀行員もいましたし、結婚式を間近に控えた若い女性もいて様々でした。『どんな人でもなる病気なんだなぁ』と思いました。

 

発作の度に入院していては仕事にならないし、何か打つ手はないかと考えました。日本に生息する冬虫夏草は500種類以上といわれています。両親と妹が飲んでいる日本冬虫夏草の種類ではなく、別の種類を試すことにしたんです。毎日170ccぐらい飲みました。

 

ある時、腰痛があって『あっ石が動き出したな』と分かりました。10日ぐらいしてから、飲む量を倍以上に増やして集中的に飲むと、3日目に赤い血が出てきました。もう少しだなと思ってコップ2杯の水を飲んでその時を待ちました。

 

いよいよとなり、トイレに行くと、米粒大の四角の角張った石がポロリところがり出たんです。見ると以前、病院の治療で排石されたものより大きいじゃないですか。それなのにあの耐え難い激痛は一切無く、普段どおり仕事をしていたわけですから、『こんな不思議なこともあるもんだ』と狐につままれたようでした。

 

そして昨年。再び米粒よりやや小さい石が同じように自然排石されました。それだったらと結石で悩んでいる前出の料理人仲間に、同様のものを勧めてみました。すると、やはり目立った痛みが無く自然排石されて。いつも病院に行くしかなかったのにこんなことは初めてだと驚いていました。

 

 日常的に誰でも小さな結晶は気づかないうちに自然排泄されているものですが、大きな結晶にまで成長させてしまう人がいます。私にとってこういう結晶は1年に1回のペースで動き出し、落ちてくるようです。母のがんに始まり、妹、父のがん。そして私の結石と続きましたが、皆無事に元気に過ごしています。これからも日本冬虫夏草等と付き合っていくつもりでいます」

 

朝日ウィル(北燈社)2001年4月10日号より

 

 仙台ホテルで「山内料理長の究極爆蒸美食」会が催されました。山内さんの本格中国料理の技の数々に感動しました。

 

その中に「山海珍味壺蒸」というスープがありました。冬虫夏草、鹿の角、朝鮮人参、フカヒレ、乾し貝柱、あわび、なまこ等が入っていて美味で絶品。おかわりを何杯もしました。その晩は眠らなくても平気なほど元気で、朝まで仕事をしていたくらいです。

その元気は24時間保ちました。24時間目にプツリと切れたのがわかりました。

 

 日韓ワールドカップでは、韓国チームが最後の最後まで体力が落ちることなくねばりを出して勝ち進んでいます。

 

選手達は毎日冬虫夏草と朝鮮人参を食べていると聞きました。やっぱりと思いました。日本チームにこのスープを飲ませてあげたいという思いにかられました。

2002年6月24日。「山内料理長の究極爆蒸美食」会に参加して

 

 

 山内さんのお母様は再発もなく元気に9年目、お父様と妹さんも再発なく元気に7年目を迎えました。日本冬虫夏草は現在も続けているということです。

2003年12月6日

父の晩年について

 「2008年のこと。母は手術から13年、妹と父は11年、再発なく元気に過ごし、克服し、がんとは縁が切れたと思っていたころ、父の腎臓にがんが見つかり、片腎を摘出する手術を受けました。

 

それより3年前、2005年から心臓にステントを4本入れる手術をし、心筋梗塞の薬を服用し続けていました。

 

そして、2010年に尿道にがんが見つかった時、『今度も悪いところを手術で取って長生きしてもらいたい』と私は思っていました。しかし、当の本人は『手術はもう結構』と拒んだのです。

 

振り返れば、病院嫌い・医者嫌い・検査嫌い・薬嫌いの父が『よくここまで頑張ってきたもんだ』とつくづく思いました。『自分の人生の幕引きは、自分で決めて思った通りにやる』という父の希望をかなえようと思いました。尊厳を第一に考えようと思ったのです。

 

家を建て替え、晩年を新しい快適な住まいで過ごさせることができました。父は、痛みが出るようになると麻薬系の鎮痛剤の使用を選択し、安らかに84年の生涯を閉じました。

その後の皆の様子

 一方、母はがんの手術から25年、妹は23年、再発なく元気に過ごしています。母は90歳になりました。食が細くなったための栄養補給と腰痛予防を兼ねる、私が考案した特別なゼリーと羊羹を毎日食べています。

 

ゼリーのレシピは、『ノンシュガーの甘酒・日本冬虫夏草・コンドロイチン末・グルコサミン末・朝鮮人参・ゼラチン』です。

 

また、アレンジに『コンドロイチン・グルコサミン・かぼちゃ・さつまいも』もあります。

 

羊羹のレシピは、『かぼちゃ・ココナッツミルク・ゼラチン』です。いずれも冷凍保存したものを解凍して食べます。 腎結石の発作を繰り返していた私と料理人仲間は、結石で病院にかかることはなくなりました。彼の奥さんも元気にしています」

 

2020年10月17日のお話より

 「ひとまず、新型コロナウイルスのワクチン接種も終了し、母も妹も私も皆元気で過ごしております」

 

2021年8月7日のお話より

 

 「夏ごろに左手指の関節に痛みがありました。切ってほしいと願うぐらいの痛みでした。『リウマチかなぁ』とも思いました。今まで飲んだことのない種類の日本冬虫夏草を飲みました。

 

この度、『痛みはどうですか』と矢萩さんに尋ねられビックリしました。『そういえば痛くない!』いつの間にか治ってました。今年の夏は釣りにはまって、ハゼやウナギなどをよく釣りました」

 

2021年12月10日のお話より

 

 「みんな元気にしております。母用オリジナル栄養ゼリーとオリジナル栄養羊羹は継続中です」

 

2022年2月20日のお話より

 

 

何傑(かけつ)さん(北京市在住)の場合

 「2010年頃から肺に影があるのを指摘されていて、検査を続けていたのですが、大きくならずにいたのでそのままにしていました。

2014年になると、とうとう医師から『何かあってからでは遅いので、切っておいた方がいいよ』と言われてしまい、心穏やかではいられなくなりました。検査入院をしてる間、肺がんの患者さん3名と知り合いになりました。日本冬虫夏草は7月から飲み始めました。

 

手術する病院は、自分なりにいろいろ考えた末、日本の病院に決めました。2014年10月に脇の下から胸腔鏡を入れて、開胸することなく腫瘍を摘出しました。

 

手術中に腫瘍の細胞検査をすると、がん細胞があるということでした。そして、一週間後、保管していた腫瘍で再び同様の検査をすると、がん細胞は無く、『がんでは無い』と言われたのです。その後も日本冬虫夏草は飲み続けました。

父が胆管がんで一週間の命から復活ご天寿を全う

 やれやれとひと息ついたのも束の間。今度は『父ががん』という知らせが待っていました。83歳の父が胆管がんで『このままだと一週間の命』という知らせでした。しかし、父はそこから大逆転の人生を辿ることになるのです。

 

 

~ 中略 ~

私の方は、2016年9月の検査結果では異常無しということでした。検査入院の際に知り合った肺がんの患者さんは一年経たないうちに皆無くなりました。 いろいろお世話になりました。感謝しています。たくさんの人に日本冬虫夏草を知ってほしいし、健康のうちに飲んでほしい。弱った人、歳とった人も飲んでほしいと思います」

 

2017年6月4日のお話より

 

 「2017年9月の検査結果も無事通過。異常無しでした。只今、来日しておりまして、静岡にいます。冬の富士山も綺麗です。元気で仕事をしております」

 

2018年2月9日のお話より

 

 「先月検査したばかりですが、異常無しでした。今、北京で奥さんと一緒にいます。このところ、仕事で東京と北京を行ったり来たりで、とにかく忙しい。来週、日本に戻ります」

 

2019年1月9日のお話より

 

 「8月に全身を検査しました。内臓脂肪を指摘された以外はすべて合格でした。今、神奈川で仕事中です。来月の半ばまで日本におります。」

 

2019年9月23日のお話より

 

「北京は、新型コロナウイルス感染予防のための外出禁止が解かれ、経済活動が再開しております。私たちも、1か月の間、自宅から出れませんでしたが、仕事を再開しています。夫婦で元気にしています。日本も、必ず日常に戻る日が来ますのでもう少しの辛抱と希望を持って過ごしてください」

 

2020年5月2日奥様のお話より

 「中国では、新型コロナウイルスのワクチン接種が昨年から始まっていましたが、私と奥さんが接種したのはつい先月です。変わらず元気でおります。

訪日出来なくなってずいぶん経ちます。早く自由に往来できるようになるといいですね。この頃は、奥さんと二人で美味しいところを探しあてて、毎晩6時になったら外食に出かけるのを励みにしています。世界の状況を考えると、飲食店巡りが出来るのはありがたいことだと思っています」

 

2021年8月23日のお話より

【あとがき】

病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。実名とポートレート(ご自身の写真)、尚且つ実物の検査データや画像を添えて公開して下さった方、苗字を除き名前(実名)だけの方、また仮名の方など、体験者の意向を尊重しております。

 

特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。 

体験談の虚偽記載は一切ございません。