CASE8 持病と一緒に解決された方


今村晴美さん(宮城県在住)の場合

 「下腹部に尋常ではない痛みが走り、病院に行ったのは1999年(37歳)春のことです。診断は子宮内膜症。手術が必要とのことでした。

 

この時、『他にも悪いところがないか、この際だから全身くまなく検査しましょう』という話になり承諾しました。すると次々と異常が見つかっていったのです。まずは乳房にしこり、そして甲状腺に腫瘍、さらに腸骨に影...。

 

乳房のしこりは良性と悪性の中間レベル、グレーといったところで、すぐに摘出。甲状腺の腫瘍はクロ。広がっていたリンパも含めて摘出しました。腸骨の影はシロの判断でした。

 

 今はどうか分かりませんが、当時の検査は肉体的、精神的負担が伴いました。手術よりしんどかったかな。私は、その病院で幸運にも心の支えになってくれる素晴らしい看護師さんと巡り会っていました。生検の際は病院側に頼み込み、その看護師さんに担当で付いてもらいました。検査中ずっと手を握ってもらっていたほどです。白衣の天使って本当にいるのですね。彼女がいなければ、次から次に起こる現実を乗り越えられなかったと思います。

 

 さて、唯一症状が出ていた子宮内膜症の話に戻りますが、片方の卵巣と卵管を摘出しました。子宮には筋腫が3個ありましたが、残して経過観察していくことになりました。甲状腺の術後も、抗がん剤の投与等は無かったですし、投薬されたものといえば退院後の鉄剤とホルモン剤ぐらいですかね。

 

その後しばらくして、副鼻腔炎の手術もやっています。このように、次々とやってくる大病に休み無く立ち向かっていかなくてはなりませんでした。

 

 2001年になると、今度は息子(長男)の肺にがんが見つかりました。当時18歳。転移がんでした。手術の前に抗がん剤を投与し、患部を小さくしてから根っこを手術で摘出するというプランに沿い、抗がん剤投与が始まりました。すると全身の毛が抜けました。並外れた食いしん坊だったのに食事はできず、飲み物さえ受け付けない。胃の中は空っぽなのに吐くのですから見てられません。自分のことより辛かったです。

 

そこにある人物が見舞いに訪れました。山内正徳さんという方です。(山内正徳さんについては下記の体験談でご覧いただけます。)そして『これ飲んでみて』と何か差し出したのです。それが日本冬虫夏草と私との初めての出会いでした。

 

覚悟を決めた息子は、ひとくち口にしました。すると食べ物も飲み物も一切受け付けなかったのにスンナリ飲めたではないですか。それから先も他の物は無理でも日本冬虫夏草だけは飲めるということでした。『不思議な物があるものだわ』と思いました。

その後、息子の手術は成功し、再発や転移と無縁で今日まで元気に過ごしています。日本冬虫夏草は現在も続けています。

 

さて、2005年の話になります。仕事中のことでした。ずいぶん前から『左耳が聞こえずらいな』と思っていたのですが、秋になって、電話の受話器を持った時、発信音が全く聞こえなくなったのです。右耳にあてると確かに発信音は鳴っています。音の種類によって全く聞こえない音とかすかに聞こえる音があるようでした。

 

すぐに耳鼻科で診てもらうと『耳自体は何ともない。耳の裏も問題ない。他に問題があるのではないか』ということでMRIで頭部を調べると『何かあるね』と言われたのです。頭の中が真っ白になりました。診察が終わったらデパートに寄って帰ろう。そんなあたり前の日常が一遍に吹っ飛んでしまったようでした。老舗デパートが閉店セールをやっていた時だったのでよく覚えてます。11月29日のことでした。

 

そんな時、あの日本冬虫夏草を思い出したのです。再び山内正徳さんに相談し、私も早速日本冬虫夏草を試すことになりました。病院からは『腫瘍が耳の神経と顔面神経と三叉神経にかかっていますので手術のリスクがかなり高く、万が一神経が切れてしまうと顔の半分が落ちてくるでしょう』と言われました。そして、脳外科医の福島孝徳先生に執刀してもらうように手配してくれました。福島先生は海外で活躍されていて、鍵穴手術で癒着や神経を巻き込んだ腫瘍を上手く剥がす技術をもっている方らしく、来日する2週間の間に45件もの手術をするといわれています。その代わり、手術を1年近く待たなければなりませんでした。

 

手術の準備として貧血を改善しなければならず、鉄剤を渡されました。日本冬虫夏草は無理なく続けられました。フルタイムで働くのを止め、時間をセーブして仕事を続けました。

 

 半年後の2006年5月。脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が無くなっていました。血液検査をすると、『貧血が良くなってる』と言われました。『子宮筋腫も大きくなっていない』ということでした。頭痛は、『ここに腫瘍がある』という精神的なものに起因した痛みだったのかなとも思います。2006年9月には、貧血は改善され、子宮筋腫も大きくならず止まったまま。子宮筋腫の方は『このまま手術なしでいけそう』との診断。難聴はまだありました。

 

2006年10月27日、脳腫瘍の摘出手術の日です。前もって『腫瘍は神経に絡まっているので元のように聞こえるようにはならないよ』と釘を刺されていました。病室を朝9時前に出て、手術室から戻ったのが夜の8時。手術は10時間に及びました。後で知ったのですが、この日は私のために10名程の親戚縁者が駆けつけ、見守ってくれてたそうです。術後、頭の中に空気が入ったために起こる頭痛が続きました。そのため1か月は薬を服用しています。薬はそれだけです。

戻らないと言われていた耳が元に戻った

 しだいに頭の重苦しさや痛みから解放されていきました。そして、なんと左耳が昔の耳に戻ったのです。電話の受話器をあて、普通に会話が出来るようになったのです。耳は元には戻らないと覚悟してましたから、信じられないことでした。

 

私の感想ですが、腫瘍が神経から剥がれ易くなってたのではないかと思うのです。手術まで長い時間がありました。その間、日本冬虫夏草をはじめ、食事に気をつけたり、仕事をセーブしたり、できるだけ体をいたわる事に努めました。乳製品断ちもしました。それまではチーズが大好物で頻繁に食べていました。これらの試みが無駄ではなかったのだと思いました。仕事はひと月休んだだけで、復帰することができました。

 

2007年7月。持病の子宮筋腫にも変化が現れました。筋腫3個がそれぞれ小さくなっているのです。先生も『このまま閉経していけば大きくなることはありませんし、手術の心配はもうありませんよ』と言ってくれました。血液の状態も『献血できるほどです』と言われました。この年の暮れには転職してフルタイムで働き始めています。

 

 持病の子宮筋腫はさらに小さくなっていき、2010年の夏から週に1度スポーツジムに通い始めました。40分のランニングが出来るほどの体力が身につきました。私の実年齢を知った人が『えっー!若い!』と驚いてくれます。孫と一緒にいると母親と勘違いされることもしばしばです。日本冬虫夏草との付き合いも5年を超えました。2006年の脳腫瘍の手術が終わってから手術を必要とするような大病が全く無くなりました。暮らしの中にはいつも日本冬虫夏草があります。

 

 

振り返ると、経済的問題を抱えていて、それが引き金になったかなと思います。20年間苦しみました。がむしゃらに働き続けなくてはなりませんでした。休んだという記憶がほとんどありません。体が悲鳴を上げるはずです。今では全てが片付き楽になりました。一方で人に恵まれました。健康を取り戻せたのは周囲の温かい方々に支えてもらったお陰だと思っています。

 

私は、自分の事情や悩みを隠したり、ひとりで抱え込んだりしない性格です。それゆえ、皆からヒントやアドバイスを貰えたのかなと思います。皆、色々な経験や知識を必ずお持ちです。今度は私が病気で苦しんでる方の力になり、世の中にお返したいと思いました。私の経験が役立ってくれたらこんな嬉しいことはありません。そのため実名のまま、隠さずお話させていただいたつもりです」

 

~ 中略 ~

2011年2月4日のお話より

経緯

1999年
乳房のしこり摘出。
1999年4月15日
子宮内膜症で卵巣・卵管摘出手術。子宮筋腫は残す。
5月11日
左腸骨腫瘍生検。
5月24日
甲状腺がん手術。
2000年10月30日
副鼻腔炎手術。
2005年 11月29日
脳腫瘍見つかる。
12月
日本冬虫夏草開始。
                       2006年5月
脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が解消。
子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善方向へ。
9月
子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善。
10月27日
脳腫瘍摘出手術。その後本来の聴力に戻る。
2007年7月
子宮筋腫が縮小し、完全に手術の必要無くなる。
献血できるまでに貧血も完治。
2010年10月
子宮筋腫がさらに縮小。

肺がんを克服した長男が結婚

「昨年11月末に副鼻腔炎になり、ポリープも1つ見つかったため手術しました。その後、大晦日に40度、1月末にも38度の高熱がでました。病院での検査で、インフルエンザでないことが分かっています。でもそれからなんですよね。体の調子が良くなったのは。発熱の産物かもしれません。

 

 肺がんを克服した長男がこの春、良縁に恵まれ結婚いたしました。9月には子供も生まれます。18歳の時に抗がん剤を大量投与していましたから、子宝に恵まれることなど考えていませんでした。驚いています。日本冬虫夏草は変わらず続けていて、皆元気に働いております」

 

2016年5月3日のお話より

~ 中略 ~

 

 「厳しい冬も終わりました。仕事も元気に続けていました。家族も皆元気にしております」

 

2022年4月5日 のお話より

田辺裕一さんの場合

 「私は長い間、『病気とは無縁な人間だ』と思っていました。会社の健康診断ではいつも満点、言うことなし。たった一度だけ、単身赴任中に高脂血症(2007年に脂質異常症と改名された)の一歩手前と注意された時も、脂っこいものや魚卵類・鶏卵を控え、ウォーキングを続けることですぐに数値が正常値に戻りました。『タバコが止められなくたってそれくらいではびくともしない、他の人とは体のデキが違うんだ』という確固たる自信をもっていたのです。

 その自信が揺らぎ始めたのは60歳の時、2000年の暮れ、 友人の送別会に出席した時のことでした。私はビールを飲 みながら話に夢中になり、長いことトイレを我慢していました。

 

ようやく席を立ってトイレに行くと、おしっこが赤く染 まっているのです。どういう色かといえば、郵便ポストの色。『ずいぶん酔っ払ったもんだな。こんなに眼がおかしくなっちゃって』と思い、天井のライトを見上げればそれはいつもと変わらぬ色。そこでようやく異変に気付きました。

 

 しかし、血尿は翌日には治まっていて、その後かすかな出血が2日続いてそれっきり。病院で検査してもなかなか原因がつかめません。右の腎臓に豆粒ぐらいの腫瘍があると分かったのは年が明けた2001年1月19日のこと。右の腎臓から尿管にかけて全摘手術をすすめられました。それを知った兄は慌てて酵素という飲みものを抱えてやって来ました。精神的にずいぶん弱っていましたから兄の提案に勇気をもらい、酵素を飲み始めました。

 手術は2001年2月26日に行いました。細胞を調べると悪性度がレベル2で、最終的な病名は右腎孟がんとなりました。その後は3か月かけて3クールの抗がん剤治療を受けました。薬の副作用で髪の毛は若干抜けたものの食欲もそこそこで、術後の回復は早く、周囲を驚かせました。酵素飲料は6月まで続けていましたが、とても甘いものでしたし、検査で血糖値が高く出たため続けることが出来なくなりました。それと入れ替わるように同じ病室のお隣さんの話から、アガリクスの粉末を飲むことにしました。

 

入院中、主治医に『やっぱりタバコは止めた方がいいですよね』と尋ねたことがあります。すると『私も吸ってるから何とも言えないよ』という返事。そのまま毎日喫煙室に通い続けました。ちょっと前まで世の中はタバコには寛容で、病院の食堂でも患者さんが堂々と吸っていました。タバコを取り巻く環境がガラリと変わったのはここ2、3年のことと思います。2002年ぐらいからですかね。

 

主治医は退院する際も、『お酒やビールは少しなら大丈夫。何を食べても構わないよ』と言ってくれました。それとは対照的に後に訪れた漢方薬局では、タバコはもちろんアルコール類はダメ、動物性の脂肪や肉類は止めて、穀類を中心とした食事にするなど厳しいアドバイスで、私はこの際できる限り摂生してみようという気持ちになり、主食は白米から、玄米を1/2と1分づきを1/2混ぜたものに替え、タバコは2001年8月13日にスッパリと止めました。

 病院では、いずれ膀胱に転移することを想定してるようでした。そして手術から11か月後、膀胱に4個のポリープが現れました。電気メスで患部を切除し、抗がん剤を4クール膀胱内に注入する治療を行いました。続けていたアガリクスの粉末はこの頃に止め、煎じて飲む乾燥アガリクスと、13種類の生薬を組み合わせた漢方薬に替えています。その漢方薬は有名な政治家も飲んでいるとのことでした。松葉、クマ笹、朝鮮人参も飲み始めています。

 そしてそのポリープからわずか5か月後、今度は膀胱内にカリフラワー状の悪性腫瘍が見つかったのです。膀胱がんです。これは再発の間隔がだんだん縮まっていくという話を聞きました。なんとかこの間隔を伸ばせないものか。できれば再発の心配なく暮らしたい。そんな頃出会ったのが日本冬虫夏草でした。

 

朝日ウィル(北燈社)2005年11月8日号より

経緯

1997年
人間ドックでC型肝炎ウィルスのキャリアーだと知るが、たいしたことではないと思ったし、自覚症状もなく、以降手術をするまで全く忘れて暮らすことに。
2000年 12月20日
友人の送別会に出席、血尿が出る。
12月21日
血尿が止まる。
12月22日
かすかに血尿。
12月23日
かすかに血尿。それ以降血尿なし。
2001年 1月19日
右の腎臓に豆粒大の腫瘍見つかる。
1月28日
酵素飲み始める。
1月30日
入院。
2月26日
右の腎臓から尿管まで全摘手術。術後、抗がん剤治療4クール。
3月15日
細胞検査の結果出る。腫瘍はレベル2の悪性で、病名は右腎孟がんとなる。
6月21日
血糖値上昇。酵素止める。アガリクス粉末を飲み始める。
6月30日
退院。
8月13日
タバコを止める。主食を玄米1/2、1分づき1/2の混合米にする。
2002年 1月15日
膀胱にポリープ4個現れる。
2月4日
電気メスで手術。
2月23日
漢方薬(13種の生薬)を飲み始める。
3月16日
アガリクス粉末止める。
3月17日
乾燥アガリクスを煎じて飲むものに替える。
3月22日
松葉、クマ笹、朝鮮人参を飲み始める。
6月20日
膀胱がんが見つかる。
6月24日
日本冬虫夏草を飲み始める。

 「膀胱がんの手術は2002年7月1日のこと。カリフラワー状の腫瘍をひとつ電気メスで切除しました。その後BCGを膀胱内に注入する治療を受けています。 これは計6回の注入で、1回終わるごとに7日間の休みを入れてひと月半かけて行うのです。事前に、主治医からは『この治療のリスクは、耐性を持ったがん細胞がしばらくして出てくるという可能性があることです。このたちの悪いがんが現れたら大変です』という話がありました。 ただ、排尿痛や白血球上昇といった治療中の副作用は全く現れませんでした。日本冬虫夏草は手術の前から飲み続けていました。煎じて飲む乾燥アガリクスと漢方薬、松葉、クマ笹、朝鮮人参はそのまま継続していました。

 

 手術と治療を終えて退院してから、リフレッシュするつもりで玉川温泉に出かけました。そして3日間のんびりと過ごしました。森林浴もできました。再発のことなど考えないで暮らせたらどんなにいいだろうと思いましたが、主治医は私以上に再発が念頭にあるようでした。検査も頻繁にありますから病気のことを忘れる時間がありません。

 

 その後は2年余り再発なく過ごしました。途中、ゴマ粒ぐらいのイボが出たり、ポリープが現れたりはしたもののいずれもがん細胞が出てくることはなく、そろそろがんとは縁が切れたかなと思い始めた矢先のこと。2004年8月12日、短い縫糸のようなものが現れ、とうとうがん細胞が見つかったのです。9月には、波状放射状に急速に広がっていく、悪性度が最高レベルであるグレード3の膀胱上皮がんと診断されました。前回の腫瘍はつまめば取れるものでしたから、横にどんどん這っていく今回のものとは人相がまるで違います。

病院の治療を一切やらずに膀胱がんが自然消失

 治療法をどうするか、じっくりと話し合うことになりました。私は、2002年にポリープ切除後、抗がん剤を注入し、5か月後に膀胱がんになっているので、その頃から『抗がん剤の治療はもうやりたくない』と断っていました。BCG注入後も、結果的このようになっているので、それも選択しにくい。そうなると膀胱そのものを摘出する手術しか残っていません。乾燥アガリクスや漢方薬も止めていましたし、もう何もかも頭にきて日本冬虫夏草も止めようと思いました。

 

 それでもキッパリ止めてしまう前に、種類の全く違うある種類の冬虫夏草を、これまで飲んでいた知名度の高い冬虫夏草に加えて飲んでみようという気持ちになったのです。日本冬虫夏草は国内に500種以上生息するといわれています。松葉、クマ笹、朝鮮人参も続けることにしました。手術まで2か月あります。その間、病院の治療は一切ありません。

 

 2004年12月13日、膀胱の摘出手術を行いました。摘出部はすぐに細胞検査にまわされました。そしてその結果は驚くべきものでした。どこを探してもがん細胞が見つからないというのです。探しても探してもどこにも無いというのです。それから検査は続けてますが、がん細胞がどこかに現れるということもありません。

 

 そもそも発がんの原因は何だったのでしょう。思い当たるのは長年の喫煙です。1日25本、40年間休まず吸い続けてきたのです。タバコを止めたからといって、すぐに発がんのリスクが消えるものでないのも分かっています。ただ仕事の面では週に2日ほど職場に出かける程度ですから、ここ5年間は無理をせず、のんびり暮らせたのはとても良かったと思います。食事は、自家栽培の野菜をたくさん食べるようになりました。農薬をほとんど使用せず、有機肥料を使って20種類ぐらいの野菜を楽しみながら作っています。

 

 笑うと免疫力が上がると聞いて、コメディ映画やお笑い番組を見たことがありますが、どうしても笑えない。時代劇や西部劇のような痛快活劇の方が気持ちがスカッとして私には合うのも分かりました。心にためたりしないで言いたいこと、質問したいことを病院側にズバズバ言いました。注射が得意でない医師がいれば、『ヘタクソ、自分達で練習してから出直してこい』なんて言ったこともあります。我慢して陰で文句を言っている患者さんがよくいますが、これはお互いの為にならないと思うのです。そんな私にも病院のスタッフの皆さんはいつも親切で、丁寧でした。面倒な質問にもとことん答えてくれました。注射のヘタだった先生も、仲間内で練習していました。その先生が数年後には偉くなって戻ってきたのは、ちょっと予想外のことでした。

 

 2005年のお正月は、大きな手術の後だけあって、養生の為、子供や孫達に遠慮してもらって妻と二人だけで過ごしました。手術では、膀胱を取り出して小腸の一部を膀胱の替わりにしました。それは月日とともに体になじんできてますが、排尿の回数はまだ多くて不便もあります。本来の膀胱がある時と完全に同じ様には戻らないのもいたしかたないことです。がんが消失してから何事も無く、1年が経ちました。来年のお正月は子供や孫たちがやってきて、いつものように賑やかな正月となりそうです。

 

 引き続き、体に溜めてた毒を出し、新たに体に入れないよう食事でもって浄化に務めています。松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は現在も続けています」

 

朝日ウィル(北燈社)2005年12月13日号より

経緯

2002年 6月24日
日本冬虫夏草を飲み始める。
7月1日
膀胱がんの手術。その後BCGの治療。
7月17日
乾燥アガリクス止める。
10月15日
テレビモニターで膀胱内壁を見る。手術跡も消え、なめらかできれい。日本冬虫夏草は飲む量を減らす。
2003年 3月20日
膀胱の入り口が赤く腫れる。細胞検査をするが問題なし。
6月29日
手術から1年。日本冬虫夏草の量をさらに減らす。
8月15日
同じ漢方薬を飲んでた政治家が肺がんで世を去ったことを知る。その後、漢方薬を止める。
9月4日
ゴマ粒ぐらいのイボが現れる。細胞検査するが問題なし。
12月19日
日本冬虫夏草の量を増やす。
2004年 1月15日
3つのポリープ現れ、手術前。
1月26日
血液検査、HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。3つのポリープ切除。
8月12日
短い縫糸のようなもの現れる。がん細胞見つかり、膀胱がんの手術から2年余りで再発。血液検査、HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。
9月10日
通院で縫糸のようなもの切除。
9月13日
波状放射状に広がる進行の速い、悪性度が最高レベルのグレード3のがんとわかり、膀胱上皮がんとの診断が下る。
10月14日
これまで飲んでいた日本冬虫夏草に、種類の違う日本冬虫夏草も加えて飲み始める。
12月3日
血液検査、HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。
12月13日
膀胱摘出手術。がん細胞はどこにも見当たらず、消失。

 なかなか簡単にはいきませんが、病気を治す環境を作るとしたら、心を解放することと、夢を持つことのように思います。

 

 私にとって心休まる場所がどこかといえば、森の中といえるかもしれません。森林組合が行ってる事業に山林オーナー制というものがあります。住まいの近くに1haの山林を区分し、一般の人に貸し出してる場所があり、私は年2万円の契約料で300坪の山林オーナーとなりました。

 

 木を伐採してもいいし、小屋を建てるのも自由です。そこでナラの木を切ってキノコ栽培を始めることにしました。10年かけてキノコの森に育てていくつもりです。

 

 

 森の中は、心が穏やかになり、免疫力が高まるように思います。そして自然の中で育った採れたてのキノコを食べ、さらに元気をもらうつもりでいます。私の夢も広がります」

 

森の中を散策することは、病気を防ぎ、健康を保つ効果があるとして、自然療法の1つとして確立され、健康保険の中に組み込んでる国があります。森林療法セラピーの先進国はドイツです。日本でも森林の効力を軽視できなくなり、林野庁等によって全国31カ所の候補地の中から『森林セラピー基地』の選定が始まりました。

 2006年2月16日に、血液、尿、レントゲン、CT検査を行いました。レントゲン検査は、結核の検査で使用している簡単なものではなく、全身を写せる大がかりなものです。

 

(1)あおむけにレントゲン撮影

 ↓

(2)造影剤投与

 ↓

(3)CT撮影

 ↓

(4)再びレントゲン撮影の行程 で行いました。

 


 1か月後、その結果を聞きに行きました。どこにも異常は認められず、何も心配ないとのことでした。この冬も一度も風邪をひくことなく、元気で過ごせました」

 

2006年3月20日のお話より

 

 「2004年12月の手術から再発、転移もなく、2年半が経とうとしています。5年を目標にしていますので、折り返し地点にちょうど立ったところです。その最後の手術からは、日本冬虫夏草は量を減らさず毎日続けてきました。キノコの森作りは着実に進行していまして、ナメコ、シイタケ、マイタケの植菌を済ませ、この秋初めての収穫となります」

 

2007年5月12日のお話より

C型肝炎ウイルスが自然消滅

 「1997年に人間ドックに入って血液検査をした時、C型肝炎ウイルスに感染していることを知りました。いつ感染したのかは不明です。たいしたことではないと思ったし、それまでも、それ以降も自覚症状は全くなかったものですから、すっかり忘れて暮らしてきました。でも2002年の膀胱がんの手術日には、手術の順番が最後に回され、C型肝炎ウイルスのキャリアーだったことを思い知らされました。私を最後に手術するのは他の人に感染させないようにという病院側の配慮だったわけです。

 

 ところが2006年の夏の人間ドックで、ウイルスが陰性と出て、2007年の夏にも同様の検査で陰性と出たのです。内科の医師は『こんなことはめったにないことだなぁ』と信じられない様子でした。ワンランク上の定性分析検査を行いました。現在のところこれ以上精度の高い方法はないそうです。その結果が出てきまして、やはりすべて陰性ということでした。そのデータをお送りします。膀胱がんの手術でがん細胞が消失しているのを確認してからまもなく3年が経とうとしています。食事療法をしながら、松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は今も続けています。

 

2007年10月15日のお話より

田辺裕一さんのHCV抗体検査の推移

検体(血液)採取日
HCV(C型肝炎ウイルス)抗体
1997年日付不明
陽性
人間ドック
2004年 1月15日
陽性
手術前検査
8月12日
陽性
手術前検査
12月3日
陽性
手術前検査
2006年 8月10日
陰性
人間ドック
2007年 8月 6日
陰性
人間ドック
9月18日
陰性
最終確認

病院から受け取った実際のデータ

(手術前検査)

2004年

1月15日

ウイルス有り

2004年

8月12日

ウイルス有り

2004年

12月3日

 ウイルス有り

↖画像中のペンの線は担当医が記したものです。


(人間ドック)

2006年

8月10日

ウイルス無し

2007年

8月6日

ウイルス無し


↗画像中のペンの線は担当医が記したものです。

2007年

9月18日

ウイルス無し


 「再発なく無事に4年が経とうとしています。手作りのキノコの森でなめこを収穫しました。稔りの秋を楽しんでいます」

 

2008年11月4日のお話より

 

 「2月3日のCT検査でも異常なし、2月10日の血液検査と膀胱鏡検査でも異常なしでがん細胞の消失から何事もなく無事に4年2か月が経ちました。日本冬虫夏草も変わらず続けています」

 

2009年2月12日のお話より

 

 「がんを経験し、自分の健康を考えた時、自分の口に入る野菜は自分で作ろうと思いました。虫が付いてもいいから無農薬で。野菜作りをするようになって毎日張り合いと楽しみが生まれました。この気持ちが免疫力を高めるのに一役かってくれてるようです。

 

退職して『今日は何をしていいかわからない』という人がいます。それはもったいないことだと思います。野菜作りは今日はこの作業、明日はこの作業、と次々とやることが出てきます。でも年齢とともに手入れする面積を縮小することが必要と思っています。同じようにやり続ければ必ず無理をします。それでは健康のために始めたのにもとも子もありません。

 

 12月13日で膀胱がんの消失から5年、C型肝炎ウイルスの自然消滅から2年、何事もなく過ぎました。腎盂がんや膀胱がんは克服したといって良いでしょう。病院からは、検査の間隔を2倍に延ばされました。今後は日本冬虫夏草の量を1/2に減らして続けていくつもりです。ますます元気に過ごしております」

 

2009年12月29日のお話より

 

 

 「私ががんになった時、友人達は病気には無縁で元気そのもの。うらやましいと思ったものでした。それからというもの私は健康のために努力を続けてきました。今は、痛いところも悪いところも何もありません。幸せな毎日です。一方、元気だった友人達は皆、体のあちこちが悪いとボヤいています。彼らは体に自信があって努力するきっかけが無かったのでしょう。努力の差は長い年月をかけるとはっきり出てくるものなんですね。毎日の努力の積み重ねとはこわいものです。

 

 膀胱がんの消失から5年半、C型肝炎ウィルスの自然消滅から2年半、再発なく元気に経過しました。 日本冬虫夏草は今も続けています」

 

2010年6月22日のお話より

 

 「この度の検査でどこにも異常が無く、この12月で膀胱がんの消失から7年が経とうとしています。C型肝炎ウィルスの自然消滅からは4年が経ちました。この頃は年に4回の検査を続けていましたが、『これからは年に1回(CT、膀胱鏡、血液検査、尿検査)にしましょう』と言われました。来年の9月13日に予約を入れてきました。

 

 無農薬、有機肥料の野菜作りを続けています。食べてくれる友人達は『甘くて、特別旨いよ!』と絶賛してくれます。孫達も野菜嫌いの者はおらずバクバク食べてくれます。私の食生活は完全和食です。お肉は滅多に口にしません。それでも鶏肉だけはたまに食べます。薬を使わない採れたての新鮮野菜と完全和食が、私に正常な細胞1コ1コを作ってくれてると思っています。日本冬虫夏草も続けています」

 

2011年10月1日のお話より

胃がんの再発がストップ

 「2年続けて胃壁にがん細胞が見つかり、2012年8月と2013年10月に削り取る手術をしました。2012年の2月にはすでにピロリ菌の除菌は済ませていました。

冬虫夏草属の胃がん細胞に対するスクリーニングの結果が出てきたのは2013年に入ってからです。CY157という種類が胃がん細胞に選択的に働いたというものでした。これまで飲んでいた日本冬虫夏草の一部をCY157に切り替えることにしました。2014年の秋と2015年の秋の検査では異常無しで、再発無く3年目を迎えています。

耳鼻咽喉科の先生に聞いたところ、タバコをやめてもその影響は長く残るということらしく、肺の場合は一生だそうです。他の臓器は、禁煙してから15年経てば、吸ってない人と同じになるそうです。私が止めたのは、2001年8月13日のことでした。

 

 さて、今年も野菜作りを元気に続けていますが、畑をやっていると思わぬ窮地に陥ることがあります。自分にとってどの辺が限度なのか分からなくなってくるのです。作物の種類がどんどん増え、耕作地も広げ、収穫した野菜を親しい人に配れば、大層喜ばれるものですからますます没頭していきます。特に夏場、天候が悪くても作業をし、体力を擦り減らすようになります。

 

限界はどこで見極めればいいのでしょうか?朝の目覚めが悪い場合や体重が増えてないのに体が重く感じて機敏な動作に苦痛が伴うようになったら、そこで悟らなくてはなりません。

 

後期高齢者といわれる75歳が節目かなと思います。農作業の一つ一つがスローペースになっていくのを実感し、一畝を作るにしても3度の休憩が必要となりました。持久力がなくなるのですね。

 

そしたら思い切って縮小するのです。私はいよいよとなったと感じ、『体力が持たなくなりまして、来年は期待しないでください』と最後の野菜を届けて回りました。

 

 今は、夫婦二人が食べる分だけ育てております。畑は小高い山間地にあり、これといった作業の無い日にも出掛けていきます。そこには一本の大木があり、その木陰に腰を下ろして風にあたります。真夏でも涼しく、とても心地よい風なのです。エアコンの風とは全く違います。澄んだ空気が体に入ってきます。こんな時、この素晴らしい自然環境に自分は守られているのを感じずにはいられません。

 

 畑の恩恵は様々ありますが、血液検査は満点で、薬を飲むことは一切無くなりました。

 

日本人の高齢者が寝たきりになる原因は認知症、脳卒中、転倒・骨折の3つが大きな比率を占めるそうで、起きてから寝るまで一日の合計歩数が8000歩、その中に早歩き20分が組み込まれていれば多くの病気を予防出来、寝たきりも防げるとされています。私の一日の歩数は約7000歩になります。畑までの傾斜地を登り下りするので8000歩の効果は出ていると思っています。

 

2016年9月12日のお話より

 

 「昨年の9月に胃がんの検査を受けました。年に一度の検査です。異常無しでした。これで再発無く、3年が無事経過したことになります。CY157も続けています」

 

2017年1月15日のお話より

 

 「昨年の9月、転移再発が無いか、年に一度の検査を受けました。どこも異常無しで、胃の方も4年が無事経過しました。CY157も続けています」

 

2018年1月23日のお話より

 

 「今年も年に一度の検査が巡って来ました。結果は、どこも異常無しでした。畑の方は、今年は虫が多かったように思います。農耕においては例年通りということがありませんね。そこが面白いところかもしれせん」

 

2018年10月3日のお話より

 

 「年初めに今年の目標というのはありません。これまで体のためにやってきたことを継続していくだけです」

 

2019年1月4日のお話より

 

 1月28日に世界ランキング(テニス)1位になった大阪なおみ選手が、今後についてインタビューに答えていました。『これまでとやることは変わらない』。そのインタビューより先に田辺裕一さんが同様の発言をされています。気の遠くなるような努力を重ね、諦めない心を持ち、目標に到達した方の言葉には共通点があるように思います。

 

2019年2月1日

 

 「暑い日が長く続いていますが、変わらず元気でおります。寝苦しい夜も続きます。ぐっすり眠りたいですね。冷房をゆるくかけて、体力が消耗しないように気遣っております」

 

2019年8月11日のお話より

 

 「雑木林をくぐり抜けた先に畑があります。クリ、サクラ、スギ、ナラ、様々な樹木の中を歩いて通います。まったく意識しないで、長い間森林浴を続けていたようなものです。森林浴は免疫機能を高め、がん予防に効果があると科学的に証明される時代に入りました。

 

 2006年に山林オーナーになった話は以前紹介しました。こちらは2016年にオーナー契約が終了し、お返ししました。10年間森でキノコを育て、心身ともにたくさんの恩恵をいただきました。

 

自然に寄り添うことが、健康への一番の近道なのではないかと思うのです。森林浴を兼ねた畑通いは12月までで、2月の下旬から柿やくるみの剪定を開始します。畑には一本の大木があり、作業の合間に傍らに腰掛けて休息をとります。そんな時私は幸福感で満たされます。

 

今年で80歳になりました。膀胱がんの消失から16年、C 型肝炎ウイルスの自然消滅から14年、胃がん細胞の発現が止まってから7年、経過しました」

 

2020年12月7日のお話より

 

 「変わらず元気にしております」

 

2021年5月17日のお話より

 

 「今年、新型コロナウイルスワクチンを接種しましたが、2回とも何の変化もないのです。もちろん食欲が落ちることもありませんでした。不思議に思って内科の先生に話をすると『ひとそれぞれですからね』というお答でした。そういうわけで、変わらず元気にしております」

 

2021年11月17日のお話より

  

 「自家製の野菜をお配りするのを卒業したはずなのですが、なかには『あの美味しい野菜が忘れられない。また頂戴』と催促されることがあって困ってしまいます。日本人の国民性は勤勉で献身的。どうしても頑張ってしまいがちです。ブレーキを掛けるのがどんなに大変か身につまされます。そこが健康への分かれ道だと思います。

 

タバコをどうしてスッパリ止めれたのか尋ねられることがあります。がんになった時おそらく父だと思うのですが、夢枕に立って『タバコは止めなさい』と告げたのです。父のひとことは偉大ですから。そんなこともありましたね。これは妻も知らない話です。

 

セーブしながら今年も元気に畑を耕しています」

 

2022年5月27日のお話より

 

岸久子さん(山形県在住 1996年当時48歳)の場合

 「1996年の1月から不正出血が続きまして、病院に行ったのは8月になってからのことでした。翌月に細胞検査の結果が出て、子宮がんと分かり、手術を勧め られたのです。

告知された時、これといって動揺はしませんでした。というのも血縁者にがんの人が多くいましてね。その皆が手術後、元気で暮らしているのを見てたからでしょう。子宮を失うにしても、悪いところを取ってしまえば大丈夫という気持ちでいたんです。性格はもともと楽天的で、くよくよしないタイプといえるかもしれません。

 

それでも手術に際して一つだけ条件がありました。この時、季節は実りの秋の真っ只中。私にとっては職場を離れることのできない季節でもありました。田んぼを持っているスタッフが稲刈りで休みを取るため、人手不足になるのです。『稲刈りの終わる 10月半ばに手術を延ばしてほしい』とお願いしました。

手術まで1か月余りの時間ができた時、日本冬虫夏草を譲ってくれた知人がいました。普段、ジュースやお茶などをほとんど口にしないのですが、日本冬虫夏草だけはスンナリ飲め、1か月の間、毎日たっぷりいただきました。

 

 発病までの3年間を振り返ると、ずいぶん体に無理をかけていたようです。父の介護に始まり、母、姑の介護と次々続きました。二人の母を同時に看ていたときもあります。仕事を続けながらでしたので、睡眠時間は毎日4~5時間程度。ようやく解放されたという時、たまった疲れがこういう形で現れたのでしょう。がん血統というのも思いあたりました。

 10月26日にいよいよ入院。10月28日に前段階の簡単な手術を行いました。子宮以外にどこまで摘出するか判断するため、局所麻酔をかけて患部をはがして調べるのです。

がん細胞消失。手術取り止め

 11月5日、その結果が出てきました。先生は『がん細胞がどこにも見当たらないんだよね』と不思議がっていました。そして『岸さん、帰っていいよ』と言われてしまったのです。それならばと、さっさと退院させてもらいました。薬は一切飲んでないし、治療も一切やってこなかったですからね。退院する際も、薬の処方はありませんでし た。

1996年1月
不正出血有り
8月
ようやく病院に行く。子宮がんの診断。日本冬虫夏草を飲み始める。
10月26日
入院。
28日
組織検査。
11月5日
がん細胞がどこにも見当たらず消失。

今度は夫ががんに

 平常の生活に戻って1か月半が過ぎ、やれやれといった頃、今度は主人が町の検診でひっかかり、左肺に影が見つかりました。細胞を取って調べると、腺がんで悪性ということが分かりました。2.5cmの大きさでした。主人はお酒をたくさん飲みましたし、タバコを1日に3箱も吸う30年来のヘビースモーカーでしたが、翌日からタバコもお酒もピタリと止め、日本冬虫夏草を飲み始めて、患部近くに擦り込んだり、吸入器で吸入したりもしてました。

 

 仕事をしながらできる限りのことをして過ごすうち、患部は次第に小さくなってい ったようです。 3 か 月 が 過 ぎ た 頃 に は  2.5 ㎝ か ら 1 ㎝ ま で に 縮 小していました。1 cmになったところで、患部の摘出手術を行いました。左胸の3か所に小さな穴を開けて内視鏡を使って患部を切り取るもので、従来の手術と比べると、体の負担が極めて少ない方法です。

もはやがんではなくなっていた

 切り取られた患部を見せてもらうと、白っぽくカッテージチーズのようでもあり、石灰化していました。痕跡は残っていたものの姿が変わり、もはや『がんではない』と言われたのです。主人も病院の治療は一切やっていませんでした。

【ご主人の経緯】
1996年12月
ご主人が肺がんと診断され、日本冬虫夏草を飲み始める。タバコとお酒をピタリと止める。
1997年3月
患部が2.5cmから1cmに縮小している。内視鏡手術。患部は石灰化していて「がんではなくなっている」と言われる。

 がんが消失してから二人とも再発無く元気に暮らしています。私が7年目、主人が6年目に入りました。私が気を付けてる事といえば、食事は常に腹7、8分目に抑えるということでしょうか。

 

仕事を終えた後、夜中までやっていた趣味を最近は控えて、睡眠時間は6時間以上取っています。以前と比べると体をずいぶん労わっていますね。時には仕事から離れて旅行に出掛け、リフレッシュすることも大事にしている事のひとつです」

 

朝日ウィル(北燈社)2003年2月18日号より

 

 「再発なく元気で、13年目に入りました。主人は12年目です。この度、主人が肺炎で入院しまして、実は昨日退院してきたばかりなんです。仕事で頑張りすぎたからだと思います。その病院に同じ症状で入院している方が2人、あっという間に次々に亡くなられてこわくなりました。入院すると同時に日本冬虫夏草を毎日飲むようにしました」ご主人にお会いしましたが、顔色も良く元気そうなので安心しました。

 

2008年3月8日お二人にお会いして

 

 「この冬、風邪から肺炎になりました。CT検査したら両肺真っ白で、最終的にはカリニ肺炎という診断でした。入院してすぐに日本冬虫夏草を飲みました。毎日600ccは飲んだと思います。大学病院には私と似たような患者さんがいっぱいいましてね。妻からも聞いていると思いますが、入院中に同じ病気で亡くなった方が2人いたのです。肺炎は油断できません。今は仕事に復帰して元気でおります」

 

 2008年8月30日ご主人のお話より

膀胱がんで手術

 「2018年4月26日、膀胱がんの手術を受けました。それは患部だけの摘出で済む簡単なものでしたから、4月30日には退院し、5月6日には職場復帰、その後は何もなかったかのように元気で働いています。(金山町でレストラン・一番纏をご夫婦で経営されています)

一つ一つに心も体も満たされる『一番纏』のお料理
一つ一つに心も体も満たされる『一番纏』のお料理

 振り返ると、昨年の12月に下腹部のあたりが重苦しい感じがありました。婦人系だろうと思って検査をしましたが、異常はありませんでした。3月に血尿がみられたので改めて病院に行き、膀胱がんの診断を受けたのです。

 

1996年の子宮がんの消失から、検査のため、大学病院に10年間通いました。いつも異常なしでした。子宮がんの再発とは無縁で20年余りが過ぎていました。

 

夫が体調を崩し、看病が続き、その過労が原因だったのかなと思います。日本冬虫夏草も意識して飲んでいます。不思議と今年から夫の体調も普通に戻りました。

久子さんがミシンだけを用いて作ったかわいい女の子2018
久子さんがミシンだけを用いて作ったかわいい女の子2018

趣味の裁縫は楽しくて止めることはできませんね。私にとって気分転換になるかけがえのない時間です。

 

この頃は編みぐるみにも凝っており、様々な動物にトライ中です。また、旅行でリフレッシュすることも忘れていません。仕事から離れて過す時間を大事にしています」

 

2018年9月21日久子さんのお話より

再発無くきれい

 「2月8日に膀胱の検査がありました。とてもきれいな状態で異常無しでした。昨年来、疲れ易くなったという感じはありますが、仕事と趣味、変わらず楽しんでやっています」

 

2019年2月18日久子さんのお話より

 

 「12月の検査も2月28日の検査も異常なしで、元気に過ごしております。この頃は、古布(ふるぎれ)をアレンジしたバック作りにチャレンジしています」

 

2020年3月4日久子さんのお話より

←手作りトートバック2020

 

藍染の古布に、みどりの裏地、取っ手は皮と洒落ている。A4サイズの書類が入る使い勝手の良さ。お店では手に入らない久子さんオリジイナルデザイン。


「このところとても体調が良いのです。朝、4時半には目覚めてしまいます。みんなの手を借りながら元気に除雪もしています。趣味のソーイングも続けています。布バック3点セットをお届けしました」

 

2021年2月26日久子さんのお話より

手作り3点バック2021冬 お花とキジの洒落た柄です。 岸さんの手は魔法の手です。
手作り3点バック2021冬 お花とキジの洒落た柄です。 岸さんの手は魔法の手です。
手作りバック2021夏 しぼりの柄が涼しげです。 ダリアの花柄もかわいい。
手作りバック2021夏 しぼりの柄が涼しげです。 ダリアの花柄もかわいい。

 「夏バテすることもなく、元気に仕事をしております。また、趣味のソーイングも楽しんでます。新作をお届けしました」

 

2021年8月4日のお話より

 「新型コロナウイルス感染者の減少、緊急事態宣言の解除があってからでしょうか。お客様が戻ってきて、このところとても忙しく働いています。周囲も私の体を気遣い、『朝起きるのがしんどくないのか?』などと聞いてきますが、辛いことが全く無くなって、風邪一つひきません。ビックリされます」

 

2021年12月1日久子さんのお話より

 

 

 「今、3回目の新型コロナワクチンの接種を終えてきたところです。2回目までは体調の変化が何もありませんでした。

 

 3年前の疲れ易かった体質が激変してから、その後も体力の衰えを感じることがなく、四時半ごろ起床しても平気で除雪に仕事にと励んでいます。そのパワーを目の当たりにした(笑)周囲の人たちからは『どっかおかしいんじゃないの~?』と気味悪がられています(笑)。

 

2月4日の病院の膀胱検査では『綺麗な状態が続いています』と言われ、検査のほうも6か月に一度に減りました。

 

 それからね、思議なことがありました。眉の上にできものが出来て、『加齢のためかな』と諦めていたところ、そこに日本冬虫夏草を飲むたびに指先でピタピタと塗っていたところ、1か月したら消えてしまったのです。

 

また手の中指の関節にタコといったらいいのか固いものがあって乾燥すると割れて痛かったのですが、これもいつの間にか消えていたのです。こちらには塗布はしていません。ご報告しなくてはと思っていました」

 

2022年2月12日のお話より

【あとがき】

病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。実名とポートレート(ご自身の写真)、尚且つ実物の検査データや画像を添えて公開して下さった方、苗字を除き名前(実名)だけの方、また仮名の方など、体験者の意向を尊重しております。

 

特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。 

体験談の虚偽記載は一切ございません。