「1999年、63歳の時、大腸がんの手術をしました。2年間検査を続け、異常が現れることはなく完治に至りました。それより前、1988年に胆石を摘出する手術も経験しています。
大腸がんを発病した頃の自覚症状といったら、とにかく疲れてしょうがなかったというのを覚えています。手術のみで抗がん剤や放射線治療などはしていません。
さて、2020年3月のことになります。これまで夜中にトイレに起きるのは1度だけだったのが、3度となり、気になって検査をすることにしました。8箇所から組織を取って調べるとがん細胞が見つかり、PSA値(腫瘍マーカー)も異常値で、前立腺がんと診断されました。
医師によると『83と高齢ですから荒っぽい治療はやらないよ。PSA値が高ければいずれ放射線治療を提案いたします』とのことで、内服薬3種類を渡され、月に一度の注射で経過観察となりました。
ところで、夜中にトイレが近くなった件ですが、年相応ということで気にしなくても良いそうです。ただ、気にしたがためにがんと早く分かって幸運だったと思っています。
診断が下ると同時に日本冬虫夏草を毎日飲むことにしました。日本冬虫夏草のことはゴルフ仲間から聞いてずいぶん前から知っていましたが、当面自分には必要ないものと、闘病中の知人や親戚に話して聞かせる程度でした。
不思議なことに、大腸がんの時に経験したどうしようもない疲れは皆無でした。普段通り動けるのです。
5月末からニンニク1200株を収穫し、その後すぐに枝豆3000株余りを畑に植えました。これでも例年より規模をかなり縮小したつもりです。
収穫した作物を近くの温泉に卸すのですが、コロナ禍で観光客が激減し、商売になりませんでした。仕方ないので自分で枝豆とシイタケをせっせと食べ続けました。
そんな中、8月の検査で思いもかけないことが起こったのです。PSA値がぐっと下がり、正常値になっていたのです。医師は首をかしげていました。
そして、10月の検査でも同様で、医師は『うーん...』とうなるのです。しばらくして『良かったね』と言ってくださいました。私が推測するに、想定外で不思議に感じてるといった表情でした。日本冬虫夏草のことは面倒を避けて話してません。
そのデータがこちらになります。
自宅周辺は緑にあふれ、空気も水も美味しいし、恵まれた環境の中で生かされていると実感しています。畑で汗を流すのはとても気持ちのいいことですし、シイタケの生育をみるために林に入って森林浴をすることも同様です。緑あふれるゴルフコースに出て仲間とプレイすることも実に爽快です。
自然と一体のこの暮らしにこの上ない幸せを感じています。日本冬虫夏草はあれからずっと続けています」
2021年1月24日のお話より
「知り合いが前立腺がんで手術をし、退院の翌日から働いていることを知り心配になりました。日本冬虫夏草の話をしたら興味を示し、試すことになりました。
彼は、職場の先輩が大腸がんになった20年前ことを思い出したらしいです。
腕の皮膚が荒れて、ぼつぼつとシミが出てきたといいます。そして、自身も数年前から腕のカサカサが気になっていたといいます。ところが、『笹原さん!肌がすべすべつるつるになってきてます!どうなってるんでしょう?』と喜んで電話をかけてきました。日本冬虫夏草をしばらく続けてみるそうです。私は変わらず元気にしています」
2021年3月24日のお話より
「腫瘍マーカーについての報告です。あれから3回ほど血液を採取して検査をしましたが、僅かずつ下がっているのです。先生は『何でかな?』とその度に首をひねっています。先生の機嫌を損なわないように日本冬虫夏草の話はしていません。
畑仕事も変わらず元気に続けています。10月半ばで終わらすはずのニンニクの植え付けが11月までかかり、1200個植えました。みっちりやりました。ようやく一段落したところです。この秋、85歳を迎えました」
2021年11月20日のお話より
「変わらず元気にしています。ところで、高血圧のため血圧測定が日課となっている妻の話をさせていただきます。私が飲んでいるのを見て、いつの間にか彼女も日本冬虫夏草を飲むようになっていたのですが、『この頃は血圧が高くないのよ』と不思議そうにしています。特に朝方血圧が高かったのですが、正常値になっているとのことです」
2022年4月2日のお話より
「1995年の3月末のことでした。濃いワイン色の血尿が出たんです。ずいぶん前に尿管結石をやりましてね。ピンク色の血尿が出たことがあったのですが、明らかにそれとは違ってて、何やら悪い予感がしました。それでも仕事は休めなくて。病院に行くことが出来たのは3日後のことです。
CT検査をすると片腎の中央にハッキリと影が映し出されていました。先生ががんという言葉を口にするより早く『先生、これは何センチぐらいのがんですか?』と私の方からお尋ねしたんです。すると『4、5ミリありますね。片腎を摘出する手術をした方がいいでしょう』と答えが返ってきました。
私は、この事実をどちらかというと冷静に受け止めていました。というのも20年前に姉が乳がんになり、それを克服。元気に暮らしている姿を見ていたからです。
姉が乳がんだと知った当初はかなりうろたえました。入院した姉を看病しながら、居ても立ってもいられず、自分がしてあげられることはないものかと必死に探しておりました。そして病室で読んだ『主婦の友』に矢萩禮美子先生を紹介した記事があって目に止まったのです。すぐに当時住んでいた神戸から先生のところに向かいました。1975年12月17日のことでした。
駅に着いたとき、雪が舞っていました。禮美子先生は、翌朝には妹さんの結婚式を控えているというのに夜中まで私の話に付き合ってくださって。結婚式のことは一切おっしゃらなかったんですよね。それを知ったのは後になってから。申し訳ないことをしたと思いました。
ところで、先生のお母様からおみそ汁をごちそうになりましてね、具だくさんだったので驚きました。野菜をたくさん摂るための工夫だそうです。それ以来、我が家のおみそ汁も具だくさんになりました。
姉にはサルノコシカケを術後すぐに飲ませました。治療はその後放射線を少しあてましたが、抗がん剤等の薬剤は一切与えられませんでした。その後もサルノコシカケに日本冬虫夏草を加えながらずっと飲み続けてきました。
さて、私の話に戻りますが、腫瘍発見の日から退院までを日を追って説明することにいたします。
1995年3月27日撮影
左の腎臓の全体像。その中央に腫瘍がある。
1995年4月12日(発見から17日後)撮影
中央の腫瘍が消失。
MRIの写真は病院から1枚1500円で買い取りました。大学病院では譲ってくれない場合もあるようです。
1995年4月12日、手術のために入院して10日目(中5日間は、外泊許可をもらい、自宅に戻り独自の手当てを十分に行う)、腫瘍発見から17日目のことです。先生が病室に検査のフィルムを持ってきましてね、『小村さん、不思議なんですよね。影がなくなっているんですよね』と首をひねっていらっしゃるんです。
病院での治療はこれまで一切なかったわけですしね。血管造影検査をさせて欲しいとも頼まれましたが、痛いのや苦しいのは何よりイヤでしたから、消えてるんだし、そのまま退院させてもらいました。
発病の原因を振り返るとオーバーワークにあると思いました。毎日10時間は立ちっぱなしで働いていましたし、責任あるポジションにいて職場のストレスもありました。食事もきちんと取れてなかったし、接客業ですから思うようにトイレに行けず我慢して、腎臓に負担をかけていました。
体は声は出せないけれど、赤い血を出してやりすぎだよと教えてくれてたんですね。
現在は退職してのんびりと暮らしております。姉と一緒に日本冬虫夏草は今も続けていて、最近は運動不足が気になって、ウォーキングを始めています。宮崎は今、桜が咲いて春本番といったところです」
朝日ウィル(北燈社)2002年3月19日号より
「宮崎は厳しい残暑が続いていますが、元気でおります。再発なく今年で8年目を迎えました。 この度、結腸がんの知人が人工肛門を免れました。手術で開いてみると患部が小さくなっていたそうです。手術前に日本冬虫夏草を飲んでいます」
2003年9月3日のお話より
「今年は腎臓移植のスキャンダルが世の中を騒がせましたが、『腎臓は片方あれば大丈夫』と簡単に摘出を勧められた当時のことを思い出しました。間一髪で2つ残せて幸運でした。あれから今日まで私は11年、姉は30年、再発と無縁で暮らしています。日本冬虫夏草は現在も続けています」
2006年12月21日のお話より
「私が庭で育てた日向夏を送りました。農薬を使っていないので皮もマーマレードにして食べられますよ」
2008年5月26日のお話より
「宮崎も、今年の春は寒くてえんどう豆が不作です。大好物なので食べられないのがとても残念です。庭の日向夏の方は無事に実りました。お送りしますね。腎臓がんが消失してから再発なく15年が経過しました。姉は乳がんの手術から再発無く34年です。
日本冬虫夏草とは長い長い付き合いになりました。今も傍らにおいて二人で飲んでいます」
2010年4月29日のお話より
「早朝、新燃岳の大きな爆発がありました。地震も続いていて、火山灰がひどく、眼が痛いのには困りました。もちろん、空を仰ぐことも洗濯物も干せません。ここは避難勧告が出てないのでまだましですが、避難されて不自由な思いをされてる方々を思うと心が痛みます。1月は宮崎もずいぶん寒かったです。氷も張るし、霜柱も立ちました。
例年だと、2日寒いと3日目がほわんと暖かいのに、今年はそれがありません。噴火が、窓やドアを開け放して暮らすようになる春までにおさまってくれるといいのですが...がんが消失してからこの4月で16年になります」
2011年2月1日のお話より
「暖かい日差しに恵まれ、姉と二人で窓を開けてドライブしました。今年初めてウグイスの美声を聞くことが出来ました。春を知らせるさえずりです。がんが消失してからこの4月で18年になります」
2013年2月25日のお話より
「宮崎の暑さは格別です。時々雨は降りますが、けっして涼しくはなりません。湿度が上がってサウナのようになるだけです。暑さと闘ってるような毎日です。農学者の小泉武夫先生は、『甘酒は飲む点滴です』と言っておられます。この夏、私は一旦沸かした甘酒を冷やして飲むのを習慣にしております。なんとか元気で乗り越えられそうな気がします。日本冬虫夏草も一緒に飲んでいます」
2013年8月23日のお話より
「この頃は姉の介護しながら過ごしております。姉妹共々がんの再発とは無縁でここまでやってきました。海藻が大好きで三陸のワカメを毎日いただきながら過ごしております」
2017年5月21日のお話より
「姉が要介護3となりまして、私が介護をしております。私自身も要支援1をもらいました。しんどい毎日ですが、介護サービスをやりくりし、三陸のワカメを食べながら頑張っています」
2018年4月18日のお話より
「緑滴る、この時期の緑陰の心地よさ、安らぎは格別で、他には得難いものがあります。梅雨が近づいています。コインランドリーへと走る直前の季節。梅雨の時期は洗濯、乾燥をコインランドリーのマシーンに任せる暮しに切り替えます。
どこのお宅もお花の真っ盛りです。老老介護となりますが、姉の介護を頑張っています」
2019年5月13日のお話より
「台風の備えを一生懸命やりました。窓ガラスに養生テープを張ったのはもちろん、停電を想定して氷を大量に購入しました。姉のことを考えてホテルに避難しようとしましたが、周辺のホテルはすぐに満室になりました。古い家なので心配でしたが、一夜明けて、台風10号の被害はほとんどありませんでした。再発無く、私は25年。姉は44年が経過しました」
2020年9月7日のお話より
「姉が86歳6か月、私は82歳になりました。人生の最終章を迎え、お墓を納骨堂に変えたりと終活に動き回っております。ワカメが大好きで、毎日いただいています。三陸のワカメは私たちにとって特別なご馳走です」
2021年12月6日のお葉書より
「私は長い間、『病気とは無縁な人間だ』と思っていました。会社の健康診断ではいつも満点、言うことなし。たった一度だけ、単身赴任中に高脂血症(2007年に脂質異常症と改名された)の一歩手前と注意された時も、脂っこいものや魚卵類・鶏卵を控え、ウォーキングを続けることですぐに数値が正常値に戻りました。『タバコが止められなくたってそれくらいではびくともしない、他の人とは体のデキが違うんだ』という確固たる自信をもっていたのです。
その自信が揺らぎ始めたのは60歳の時、2000年の暮れ、 友人の送別会に出席した時のことでした。私はビールを飲 みながら話に夢中になり、長いことトイレを我慢していました。
ようやく席を立ってトイレに行くと、おしっこが赤く染 まっているのです。どういう色かといえば、郵便ポストの色。『ずいぶん酔っ払ったもんだな。こんなに眼がおかしくなっちゃって』と思い、天井のライトを見上げればそれはいつもと変わらぬ色。そこでようやく異変に気付きました。
しかし、血尿は翌日には治まっていて、その後かすかな出血が2日続いてそれっきり。病院で検査してもなかなか原因がつかめません。右の腎臓に豆粒ぐらいの腫瘍があると分かったのは年が明けた2001年1月19日のこと。右の腎臓から尿管にかけて全摘手術をすすめられました。それを知った兄は慌てて酵素という飲みものを抱えてやって来ました。精神的にずいぶん弱っていましたから兄の提案に勇気をもらい、酵素を飲み始め
手術は2001年2月26日に行いました。細胞を調べると悪性度がレベル2で、最終的な病名は右腎孟がんとなりました。その後は3か月かけて3クールの抗がん剤治療を受けました。薬の副作用で髪の毛は若干抜けたものの食欲もそこそこで、術後の回復は早く、周囲を驚かせました。酵素飲料は6月まで続けていましたが、とても甘いものでしたし、検査で血糖値が高く出たため続けることが出来なくなりました。それと入れ替わるように同じ病室のお隣さんの話から、アガリクスの粉末を飲むことにしました。
入院中、主治医に『やっぱりタバコは止めた方がいいですよね』と尋ねたことがあります。すると『私も吸ってるから何とも言えないよ』という返事。そのまま毎日喫煙室に通い続けました。ちょっと前まで世の中はタバコには寛容で、病院の食堂でも患者さんが堂々と吸っていました。タバコを取り巻く環境がガラリと変わったのはここ2、3年のことと思います。2002年ぐらいからですかね。
主治医は退院する際も、『お酒やビールは少しなら大丈夫。何を食べても構わないよ』と言ってくれました。それとは対照的に後に訪れた漢方薬局では、タバコはもちろんアルコール類はダメ、動物性の脂肪や肉類は止めて、穀類を中心とした食事にするなど厳しいアドバイスで、私はこの際できる限り摂生してみようという気持ちになり、主食は白米から、玄米を1/2と1分づきを1/2混ぜたものに替え、タバコは2001年8月13日にスッパリと止めました。
病院では、いずれ膀胱に転移することを想定してるようでした。そして手術から11か月後、膀胱に4個のポリープが現れました。電気メスで患部を切除し、抗がん剤を4クール膀胱内に注入する治療を行いました。続けていたアガリクスの粉末はこの頃に止め、煎じて飲む乾燥アガリクスと、13種類の生薬を組み合わせた漢方薬に替えています。その漢方薬は有名な政治家も飲んでいるとのことでした。松葉、クマ笹、朝鮮人参も飲み始めています。
そしてそのポリープからわずか5か月後、今度は膀胱内にカリフラワー状の悪性腫瘍が見つかったのです。膀胱がんです。これは再発の間隔がだんだん縮まっていくという話を聞きました。なんとかこの間隔を伸ばせないものか。できれば再発の心配なく暮らしたい。そんな頃出会ったのが日本冬虫夏草でした。
朝日ウィル(北燈社)2005年11月8日号より
「膀胱がんの手術は2002年7月1日のこと。カリフラワー状の腫瘍をひとつ電気メスで切除しました。その後BCGを膀胱内に注入する治療を受けています。 これは計6回の注入で、1回終わるごとに7日間の休みを入れてひと月半かけて行うのです。事前に、主治医からは『この治療のリスクは、耐性を持ったがん細胞がしばらくして出てくるという可能性があることです。このたちの悪いがんが現れたら大変です』という話がありました。 ただ、排尿痛や白血球上昇といった治療中の副作用は全く現れませんでした。日本冬虫夏草は手術の前から飲み続けていました。煎じて飲む乾燥アガリクスと漢方薬、松葉、クマ笹、朝鮮人参はそのまま継続していました。
手術と治療を終えて退院してから、リフレッシュするつもりで玉川温泉に出かけました。そして3日間のんびりと過ごしました。森林浴もできました。再発のことなど考えないで暮らせたらどんなにいいだろうと思いましたが、主治医は私以上に再発が念頭にあるようでした。検査も頻繁にありますから病気のことを忘れる時間がありません。
その後は2年余り再発なく過ごしました。途中、ゴマ粒ぐらいのイボが出たり、ポリープが現れたりはしたもののいずれもがん細胞が出てくることはなく、そろそろがんとは縁が切れたかなと思い始めた矢先のこと。2004年8月12日、短い縫糸のようなものが現れ、とうとうがん細胞が見つかったのです。9月には、波状放射状に急速に広がっていく、悪性度が最高レベルであるグレード3の膀胱上皮がんと診断されました。前回の腫瘍はつまめば取れるものでしたから、横にどんどん這っていく今回のものとは人相がまるで違います。
治療法をどうするか、じっくりと話し合うことになりました。私は、2002年にポリープ切除後、抗がん剤を注入し、5か月後に膀胱がんになっているので、その頃から『抗がん剤の治療はもうやりたくない』と断っていました。BCG注入後も、結果的このようになっているので、それも選択しにくい。そうなると膀胱そのものを摘出する手術しか残っていません。乾燥アガリクスや漢方薬も止めていましたし、もう何もかも頭にきて日本冬虫夏草も止めようと思いました。
それでもキッパリ止めてしまう前に、種類の全く違うある種類の冬虫夏草を、これまで飲んでいた知名度の高い冬虫夏草に加えて飲んでみようという気持ちになったのです。日本冬虫夏草は国内に500種以上生息するといわれています。松葉、クマ笹、朝鮮人参も続けることにしました。手術まで2か月あります。その間、病院の治療は一切ありません。
2004年12月13日、膀胱の摘出手術を行いました。摘出部はすぐに細胞検査にまわされました。そしてその結果は驚くべきものでした。どこを探してもがん細胞が見つからないというのです。探しても探してもどこにも無いというのです。それから検査は続けてますが、がん細胞がどこかに現れるということもありません。
そもそも発がんの原因は何だったのでしょう。思い当たるのは長年の喫煙です。1日25本、40年間休まず吸い続けてきたのです。タバコを止めたからといって、すぐに発がんのリスクが消えるものでないのも分かっています。ただ仕事の面では週に2日ほど職場に出かける程度ですから、ここ5年間は無理をせず、のんびり暮らせたのはとても良かったと思います。食事は、自家栽培の野菜をたくさん食べるようになりました。農薬をほとんど使用せず、有機肥料を使って20種類ぐらいの野菜を楽しみながら作っています。
笑うと免疫力が上がると聞いて、コメディ映画やお笑い番組を見たことがありますが、どうしても笑えない。時代劇や西部劇のような痛快活劇の方が気持ちがスカッとして私には合うのも分かりました。心にためたりしないで言いたいこと、質問したいことを病院側にズバズバ言いました。注射が得意でない医師がいれば、『ヘタクソ、自分達で練習してから出直してこい』なんて言ったこともあります。我慢して陰で文句を言っている患者さんがよくいますが、これはお互いの為にならないと思うのです。そんな私にも病院のスタッフの皆さんはいつも親切で、丁寧でした。面倒な質問にもとことん答えてくれました。注射のヘタだった先生も、仲間内で練習していました。その先生が数年後には偉くなって戻ってきたのは、ちょっと予想外のことでした。
2005年のお正月は、大きな手術の後だけあって、養生の為、子供や孫達に遠慮してもらって妻と二人だけで過ごしました。手術では、膀胱を取り出して小腸の一部を膀胱の替わりにしました。それは月日とともに体になじんできてますが、排尿の回数はまだ多くて不便もあります。本来の膀胱がある時と完全に同じ様には戻らないのもいたしかたないことです。がんが消失してから何事も無く、1年が経ちました。来年のお正月は子供や孫たちがやってきて、いつものように賑やかな正月となりそうです。
引き続き、体に溜めてた毒を出し、新たに体に入れないよう食事でもって浄化に務めています。松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は現在も続けています」
朝日ウィル(北燈社)2005年12月13日号より
なかなか簡単にはいきませんが、病気を治す環境を作るとしたら、心を解放することと、夢を持つことのように思います。
私にとって心休まる場所がどこかといえば、森の中といえるかもしれません。森林組合が行ってる事業に山林オーナー制というものがあります。住まいの近くに1haの山林を区分し、一般の人に貸し出してる場所があり、私は年2万円の契約料で300坪の山林オーナーとなりました。
木を伐採してもいいし、小屋を建てるのも自由です。そこでナラの木を切ってキノコ栽培を始めることにしました。10年かけてキノコの森に育てていくつもりです。
森の中は、心が穏やかになり、免疫力が高まるように思います。そして自然の中で育った採れたてのキノコを食べ、さらに元気をもらうつもりでいます。私の夢も広がります」
森の中を散策することは、病気を防ぎ、健康を保つ効果があるとして、自然療法の1つとして確立され、健康保険の中に組み込んでる国があります。森林療法セラピーの先進国はドイツです。日本でも森林の効力を軽視できなくなり、林野庁等によって全国31カ所の候補地の中から『森林セラピー基地』の選定が始まりました。
2006年2月16日に、血液、尿、レントゲン、CT検査を行いました。レントゲン検査は、結核の検査で使用している簡単なものではなく、全身を写せる大がかりなものです。
(1)あおむけにレントゲン撮影
↓
(2)造影剤投与
↓
(3)CT撮影
↓
(4)再びレントゲン撮影の行程 で行いました。
1か月後、その結果を聞きに行きました。どこにも異常は認められず、何も心配ないとのことでした。この冬も一度も風邪をひくことなく、元気で過ごせました」
2006年3月20日のお話より
「2004年12月の手術から再発、転移もなく、2年半が経とうとしています。5年を目標にしていますので、折り返し地点にちょうど立ったところです。その最後の手術からは、日本冬虫夏草は量を減らさず毎日続けてきました。キノコの森作りは着実に進行していまして、ナメコ、シイタケ、マイタケの植菌を済ませ、この秋初めての収穫となります」
2007年5月12日のお話より
「1997年に人間ドックに入って血液検査をした時、C型肝炎ウイルスに感染していることを知りました。いつ感染したのかは不明です。たいしたことではないと思ったし、それまでも、それ以降も自覚症状は全くなかったものですから、すっかり忘れて暮らしてきました。でも2002年の膀胱がんの手術日には、手術の順番が最後に回され、C型肝炎ウイルスのキャリアーだったことを思い知らされました。私を最後に手術するのは他の人に感染させないようにという病院側の配慮だったわけです。
ところが2006年の夏の人間ドックで、ウイルスが陰性と出て、2007年の夏にも同様の検査で陰性と出たのです。内科の医師は『こんなことはめったにないことだなぁ』と信じられない様子でした。ワンランク上の定性分析検査を行いました。現在のところこれ以上精度の高い方法はないそうです。その結果が出てきまして、やはりすべて陰性ということでした。そのデータをお送りします。膀胱がんの手術でがん細胞が消失しているのを確認してからまもなく3年が経とうとしています。食事療法をしながら、松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は今も続けています。
2007年10月15日のお話より
(手術前検査)
2004年
1月15日
ウイルス有り
2004年
8月12日
ウイルス有り
2004年
12月3日
ウイルス有り
↖画像中のペンの線は担当医が記したものです。
(人間ドック)
2006年
8月10日
ウイルス無し
2007年
8月6日
ウイルス無し
↗画像中のペンの線は担当医が記したものです。
2007年
9月18日
ウイルス無し
「再発なく無事に4年が経とうとしています。手作りのキノコの森でなめこを収穫しました。稔りの秋を楽しんでいます」
2008年11月4日のお話より
「2月3日のCT検査でも異常なし、2月10日の血液検査と膀胱鏡検査でも異常なしでがん細胞の消失から何事もなく無事に4年2か月が経ちました。日本冬虫夏草も変わらず続けています」
2009年2月12日のお話より
「がんを経験し、自分の健康を考えた時、自分の口に入る野菜は自分で作ろうと思いました。虫が付いてもいいから無農薬で。野菜作りをするようになって毎日張り合いと楽しみが生まれました。この気持ちが免疫力を高めるのに一役かってくれてるようです。
退職して『今日は何をしていいかわからない』という人がいます。それはもったいないことだと思います。野菜作りは今日はこの作業、明日はこの作業、と次々とやることが出てきます。でも年齢とともに手入れする面積を縮小することが必要と思っています。同じようにやり続ければ必ず無理をします。それでは健康のために始めたのにもとも子もありません。
12月13日で膀胱がんの消失から5年、C型肝炎ウイルスの自然消滅から2年、何事もなく過ぎました。腎盂がんや膀胱がんは克服したといって良いでしょう。病院からは、検査の間隔を2倍に延ばされました。今後は日本冬虫夏草の量を1/2に減らして続けていくつもりです。ますます元気に過ごしております」
2009年12月29日のお話より
「私ががんになった時、友人達は病気には無縁で元気そのもの。うらやましいと思ったものでした。それからというもの私は健康のために努力を続けてきました。今は、痛いところも悪いところも何もありません。幸せな毎日です。一方、元気だった友人達は皆、体のあちこちが悪いとボヤいています。彼らは体に自信があって努力するきっかけが無かったのでしょう。努力の差は長い年月をかけるとはっきり出てくるものなんですね。毎日の努力の積み重ねとはこわいものです。
膀胱がんの消失から5年半、C型肝炎ウィルスの自然消滅から2年半、再発なく元気に経過しました。 日本冬虫夏草は今も続けています」
2010年6月22日のお話より
「この度の検査でどこにも異常が無く、この12月で膀胱がんの消失から7年が経とうとしています。C型肝炎ウィルスの自然消滅からは4年が経ちました。この頃は年に4回の検査を続けていましたが、『これからは年に1回(CT、膀胱鏡、血液検査、尿検査)にしましょう』と言われました。来年の9月13日に予約を入れてきました。
無農薬、有機肥料の野菜作りを続けています。食べてくれる友人達は『甘くて、特別旨いよ!』と絶賛してくれます。孫達も野菜嫌いの者はおらずバクバク食べてくれます。私の食生活は完全和食です。お肉は滅多に口にしません。それでも鶏肉だけはたまに食べます。薬を使わない採れたての新鮮野菜と完全和食が、私に正常な細胞1コ1コを作ってくれてると思っています。日本冬虫夏草も続けています」
2011年10月1日のお話より
「2年続けて胃壁にがん細胞が見つかり、2012年8月と2013年10月に削り取る手術をしました。2012年の2月にはすでにピロリ菌の除菌は済ませていました。
冬虫夏草属の胃がん細胞に対するスクリーニングの結果が出てきたのは2013年に入ってからです。CY157という種類が胃がん細胞に選択的に働いたというものでした。これまで飲んでいた日本冬虫夏草の一部をCY157に切り替えることにしました。2014年の秋と2015年の秋の検査では異常無しで、再発無く3年目を迎えています。
耳鼻咽喉科の先生に聞いたところ、タバコをやめてもその影響は長く残るということらしく、肺の場合は一生だそうです。他の臓器は、禁煙してから15年経てば、吸ってない人と同じになるそうです。私が止めたのは、2001年8月13日のことでした。
さて、今年も野菜作りを元気に続けていますが、畑をやっていると思わぬ窮地に陥ることがあります。自分にとってどの辺が限度なのか分からなくなってくるのです。作物の種類がどんどん増え、耕作地も広げ、収穫した野菜を親しい人に配れば、大層喜ばれるものですからますます没頭していきます。特に夏場、天候が悪くても作業をし、体力を擦り減らすようになります。
限界はどこで見極めればいいのでしょうか?朝の目覚めが悪い場合や体重が増えてないのに体が重く感じて機敏な動作に苦痛が伴うようになったら、そこで悟らなくてはなりません。
後期高齢者といわれる75歳が節目かなと思います。農作業の一つ一つがスローペースになっていくのを実感し、一畝を作るにしても3度の休憩が必要となりました。持久力がなくなるのですね。
そしたら思い切って縮小するのです。私はいよいよとなったと感じ、『体力が持たなくなりまして、来年は期待しないでください』と最後の野菜を届けて回りました。
今は、夫婦二人が食べる分だけ育てております。畑は小高い山間地にあり、これといった作業の無い日にも出掛けていきます。そこには一本の大木があり、その木陰に腰を下ろして風にあたります。真夏でも涼しく、とても心地よい風なのです。エアコンの風とは全く違います。澄んだ空気が体に入ってきます。こんな時、この素晴らしい自然環境に自分は守られているのを感じずにはいられません。
畑の恩恵は様々ありますが、血液検査は満点で、薬を飲むことは一切無くなりました。
日本人の高齢者が寝たきりになる原因は認知症、脳卒中、転倒・骨折の3つが大きな比率を占めるそうで、起きてから寝るまで一日の合計歩数が8000歩、その中に早歩き20分が組み込まれていれば多くの病気を予防出来、寝たきりも防げるとされています。私の一日の歩数は約7000歩になります。畑までの傾斜地を登り下りするので8000歩の効果は出ていると思っています。
2016年9月12日のお話より
「昨年の9月に胃がんの検査を受けました。年に一度の検査です。異常無しでした。これで再発無く、3年が無事経過したことになります。CY157も続けています」
2017年1月15日のお話より
「昨年の9月、転移再発が無いか、年に一度の検査を受けました。どこも異常無しで、胃の方も4年が無事経過しました。CY157も続けています」
2018年1月23日のお話より
「今年も年に一度の検査が巡って来ました。結果は、どこも異常無しでした。畑の方は、今年は虫が多かったように思います。農耕においては例年通りということがありませんね。そこが面白いところかもしれせん」
2018年10月3日のお話より
「年初めに今年の目標というのはありません。これまで体のためにやってきたことを継続していくだけです」
2019年1月4日のお話より
1月28日に世界ランキング(テニス)1位になった大阪なおみ選手が、今後についてインタビューに答えていました。『これまでとやることは変わらない』。そのインタビューより先に田辺裕一さんが同様の発言をされています。気の遠くなるような努力を重ね、諦めない心を持ち、目標に到達した方の言葉には共通点があるように思います。
2019年2月1日
「暑い日が長く続いていますが、変わらず元気でおります。寝苦しい夜も続きます。ぐっすり眠りたいですね。冷房をゆるくかけて、体力が消耗しないように気遣っております」
2019年8月11日のお話より
「雑木林をくぐり抜けた先に畑があります。クリ、サクラ、スギ、ナラ、様々な樹木の中を歩いて通います。まったく意識しないで、長い間森林浴を続けていたようなものです。森林浴は免疫機能を高め、がん予防に効果があると科学的に証明される時代に入りました。
2006年に山林オーナーになった話は以前紹介しました。こちらは2016年にオーナー契約が終了し、お返ししました。10年間森でキノコを育て、心身ともにたくさんの恩恵をいただきました。
自然に寄り添うことが、健康への一番の近道なのではないかと思うのです。森林浴を兼ねた畑通いは12月までで、2月の下旬から柿やくるみの剪定を開始します。畑には一本の大木があり、作業の合間に傍らに腰掛けて休息をとります。そんな時私は幸福感で満たされます。
今年で80歳になりました。膀胱がんの消失から16年、C 型肝炎ウイルスの自然消滅から14年、胃がん細胞の発現が止まってから7年、経過しました」
2020年12月7日のお話より
「変わらず元気にしております」
2021年5月17日のお話より
「今年、新型コロナウイルスワクチンを接種しましたが、2回とも何の変化もないのです。もちろん食欲が落ちることもありませんでした。不思議に思って内科の先生に話をすると『ひとそれぞれですからね』というお答でした。そういうわけで、変わらず元気にしております」
2021年11月17日のお話より
「自家製の野菜をお配りするのを卒業したはずなのですが、なかには『あの美味しい野菜が忘れられない。また頂戴』と催促されることがあって困ってしまいます。日本人の国民性は勤勉なので頑張ってしまいがちです。ブレーキを掛けるのがどんなに大変か身につまされます。そこが健康への分かれ道だと思います。
タバコをどうしてスッパリ止めれたのか尋ねられることがあります。がんになった時恐らく父だと思うのですが、夢枕に出てきたのです。そしてタバコは止めなさいと告げました。そんなことがあったのです。これは妻にも話したことがありません。
今年もセーブしながら元気に畑を耕しています」
2022年5月27日のお話より
【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。実名とポートレート(ご自身の写真)、尚且つ実物の検査データや画像を添えて公開して下さった方、苗字を除き名前(実名)だけの方、また仮名の方など、体験者の意向を尊重しております。
特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。
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